生まれたときに割り当てられた「女性」という性別を、ずっと受け入れられなかった。男性ホルモンを投与するホルモン治療を受けたい――出会って10年以上が経った自分の妻が、そんなことを言いだしたらどう思うだろうか。

私は幼いころから性別に違和を持ちながら、30代後半になってからようやくセクシャルマイノリティ当事者だと気がついた。そんな私のカミングアウトを受け入れる夫を「当事者家族」にすることには抵抗がある。

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※写真はイメージです(以下同)
そう思いながらも、やっぱりホルモン治療を受けたいと、転職活動をはじめた。しばらくフリーランスの仕事をしていたが、それでは自費診療で高額になる費用をまかなえないからだ。

◆お決まりの「ゲイの友人がいる」

転職活動を始めた当初は、まだ戸籍名を変更途中だったこともあり、転職エージェントには事情を説明して、通称名を使わせてもらった(注:通常、戸籍名の変更には、変更したい通称名を一定期間使用している実績が必要となる。性同一性障害を理由にした戸籍名の変更であっても、通称名での使用実績が必要になるため、なるべく通称名を使う必要がある)。

4、5社ほどのエージェントと面談し、戸籍上の性別とアイデンティティに違和があるということは伝えたが、対応は各社さまざまだった。みなさん誠実に対応してくれたが、逐一説明しないといけないしんどさはあった。

また、ジェンダーの話をすると、判(はん)を押したように「知り合いにゲイ(レズビアン)がいて」など、知り合い情報を教えてくれる。私に寄り添おうとしてくれる思いには心から感謝している。しかし、私はゲイでもレズビアンでもないし、彼らが抱える悩みを私は実感をもって理解することもできないので、なんだか申し訳なくもあった。

◆採用担当者に知ってほしいこと

知り合いがいるとアピールをしてくれても、その理解度は実に様々だ。エージェントや企業の人事担当者の理解度に合わせて、使う言葉も変えなくてならない。幸いにも私は記事を書いたり、学会やイベントに出向いて当事者や研究者に取材をしている。相手の理解度に合わせて、性的マイノリティについて丁寧に説明をすることができたと思う。それでも、説明に窮することや、小さな偏見でモヤモヤしてしまうこともあった。

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「ご紹介できる求人は限られてしまうかもしれません」と言われては、徒労感に襲われた。隠していれば楽だろうに、とも思ったが、ホルモン治療を始めたいという大きな目的があったし、いま隠せば今後も女性として働くことになると、自分を奮い立たせた。

企業の採用担当の方にお伝えしたいことがある。「うちは(性別のことは)気にしません」に、私は警戒心を抱く。あなたが何者であろうと我々は気にしませんという、受け入れの意味で発してくれているのはわかるのだが、そうは聞こえないのだ。どう聞こえているかというと――「勉強していません」「何があっても知りません」。だって、具体的な想像してないでしょ、と。

いちばん誠実だと感じたのは「問題が発生したときには、話し合いによって納得できる方法を模索します」と、問題は起きるものだという前提を示してくれた企業だ。また、「トイレやロッカーはどうしますか?」と聞いて一緒に考えてくれた企業にも安心感を覚えた。残念ながらそのどちらでもスキルや条件面が合わず、働くことはできなかった。

紆余曲折あり、いまは「気にしません」と言い切った企業に勤めている。

初日、私は全社員を前に性的マイノリティであることをカミングアウトした。「性的な話題に下手に触れると面倒な人間ですよ」と予防線を張ったわけだ。まだ関係性ができ上がっていなければ、カミングアウトは容易だ(これは性格にもよるかもしれない)。

◆「her」と呼ばないでほしい

自分の内面情報を、不特定多数に伝えるというのは羞恥プレイみたいなものだ。それくらい恥ずかしいし、惨(みじ)めだ。それでもやると決めたのは、最終面談で人事担当者や社長の態度に、不安を感じたからだ。「女性が好きな女性だから結婚はしていないだろう、子どもも生めないだろう」みたいな漠然とした違和感が、面接官からひしひしと伝わってきた。

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結果、初日のカミングアウトのおかげでいろいろとやりやすい部分は多かった。海外の会社とのビデオミーティングで、社長が私に対して「Her(彼女)」を使ったとき、それをやめてくれと言えた。

だが、やはりセクシャルマイノリティという属性が一般的に就職や転職のハードルになることには変わりないだろう。男性ホルモンを打ったなら、今度は戸籍上の女性というのが、エントリーシートを書くうえで壁になる。履歴書は女性なのに、面接では男性が来るわけだ。経歴詐称と思われかねないと不安になるのは、悲観的すぎるだろうか。

◆待ち望んだホルモン治療ついに開始!その矢先に義母が…

就職して2カ月ほど経ち、私は、ついにホルモン治療を決意した。受診すればすぐ始められると思いきや、治療ガイドラインに従うと、ホルモン投与まで3カ月ほどの時間がかかってしまった。

昨年秋、はじめての治療日が決まった。「これで、義母にも会いにいける」と思った。

夫と結婚して以来、その両親と同居していたが、義母から暗に“嫁”としての役割を期待されることに耐えきれなくなり、私は昨年家を出ていた。実家に帰り、その後家を借りてひとり暮らしをはじめたため、必然的に夫とも別居状態がつづいていた。私には、義母に性自認のことを伝えるためにはホルモン治療が不可欠、という思い込みがあった。これで義母にも会いに行ける……そう思っていた矢先、突然の訃報が舞い込んできた。義母が亡くなったのだ。

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末期がんだった。医師の見立てでは、数カ月は持ちこたえられる体力はあったはずだった。パートナー含め、こんなに早く亡くなるとは誰も思っていなかった。急逝の知らせを受け取ってすぐにパートナーと合流、夫の隣に座り“喪主の妻”として何食わぬ顔で義母を弔った。何も言わず家を出てしまったことを、その亡骸を前に、ただただ謝ることしかできなかった。

葬儀の最中、私は夢を見た。義母が私に背を向けて座っていた。その背中に私はすがるようにして、泣きながら声を張り上げた。

「ごめんなさい、私は男なんです、だから、あなたの望むような、息子の妻になれなくて本当にごめんなさい……!」

それに対し、義母は私を一瞥(いちべつ)して冷たくひと言いい放った。

「は? 何言ってるの? 気持ち悪っ」

……そこで目を覚ました。

夢枕に立ったのかは、わからない。でもカミングアウトしないのが、正解だったのかもしれない。伝えたところで、義母に混乱と困惑を与えただけだっただろう。

葬儀が終わっても、私はひとり暮らしの家に帰ることなく、パートナーの家に居着いた。義理の父もいるが少し変わり者で、人にあまり興味がなく無口なタイプだ。本心はわからないが、私が戻ってきても、何も言わないし、何も聞かれない。男性ホルモンを入れてから少しずつ見た目も声も変わっているはずだが、気づいているのかもわからない。

◆同性婚が認められない国だから

パートナーも、まったく変わらない。最初は気づいていないのかなと思い、「ホルモン打ってるよ」「声が低くなってるよ」と伝えても「もともとオッサンでしたよ?」というだけで特に気にしていない様子だ。老眼でよく見えてないだけか……まぁ、これは冗談だが。

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私たちにとって、見た目の変化なんて些末(さまつ)な問題なのかもしれない。はじめて出会ってからもう17年目となる。パートナーだってだいぶ髪の毛がなくなっているし、ふたりしてお腹もだいぶ出っぱっている。お互いさまではあるが、いまのまま出会ったころにタイムスリップしたところで、お互い恋愛対象にはならないだろう。

家族関係において、性ホルモンはあってもなくてもたいした問題ではない。問題は家の外に出たときだ。私は男性しか好きになれないし、男性と結婚もしているので、戸籍変更はまったくするつもりはない。戸籍変更には、「手術要件」といわれる子宮や卵巣の摘出のほか、「結婚していない」ことも必要になる。つまり既婚者は、離婚しなくてはならない。

◆国を捨てたくなる気持ち

性別変更に結婚って関係なくない?と不可解だった。だが、考えてみれば当たり前だ。日本は同性婚を認めていないのだから。

性別を変えるといっても、私と夫は別に変わらない。私の声が低くなって、見た目がおばさんからおじさんになる。そして生殖腺を失うので、性ホルモンの分泌ができない内部障害を抱えるだけだ。それなのに、国は、性別を変えると、私たちの関係を一切認めなくなる。

性的マイノリティや同性婚に関連して差別的な発言をして2月更迭された荒井勝喜首相秘書官(当時)は「人権や価値観は尊重するが、認めたら国を捨てる人が出てくる」と言った。むしろ私は、現状のほうが国を捨てざる得ないと感じてしまう。

【佐倉イオリ】1983年生まれ。幼稚園の頃には「女じゃない」という自覚がありがならも男性が恋愛対象だったことや「他の女の人も皆我慢しているのだろう」と考えたため、女性らしくなろうと試行錯誤。「女性らしくなりたい」「男性に見られたい」と揺らぎながら30歳で男性と結婚。30歳を過ぎてその葛藤が「普遍的な女性の悩み」ではないと気づき始めた。宣伝会議の「編集・ライター養成講座」41期生として執筆した卒業制作で、最優秀賞を獲得 twitter:@sakura_iori3

<文/佐倉イオリ>