だから長谷川京子がただの不幸なママとして出てきたとき、ちょっとは「お、ハセキョー」とは思ったけど、「間違いなく重要な役だ」とまでは思えなかった。逆に「ハセキョーでもこの番手で出ることあるんだ」なんて、ナメたことを考えていた。
だから今回のラストで、ハセキョーがカーネーションを買ってたところ、顔が映るまでマジで予想できなかったんです。いやー、やるじゃん! と思ったんだよな。
コミック原作の改変による批判を恐れず、謎そのものを堂々とドラマの中心に据え置き、毎回爆弾を仕掛けて驚かすこともおろそかにしない。まだ最終回前ではありますが、なかなか出力の高いミステリーをドラマでやってくれたことに感謝と敬意を表したいところです。いや、改編による批判を恐れないということはないですね。正しく恐れ、正しく取り組んだということだと思う。原作モノのドラマは、みんなこうあってほしいですね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)