とはいえ、現在の作品を取り巻く盛り上がりを見るに、配信の多少の遅れはほとんど影響がなかったといってもよさそうだ。

 そんな『極悪女王』は、1988年2月にダンプの引退試合として行われたダンプ・大森ゆかり組vsクラッシュ・ギャルズのタッグマッチがクライマックスになっている。

史実ではその後、翌89年に長与が、90年に飛鳥がそれぞれ引退したことでクラッシュ・ギャルズは解散となる。解散後、「全女」はブル中野やアジャ・コング、北斗晶らレジェンド級のレスラーを輩出したが、その一方で歌手活動も行い発売する曲がヒットするなど、プロレスの枠を超えてトップアイドル並みの人気を博したクラッシュ・ギャルズの人気を凌駕するほどのスターは輩出できなかった。

「80年代、『全女』は会社の上層部の方針で『25歳定年制』を敷いていました。それに、稼ぎに見合うほどの給料をもらえなかったこともあり、ダンプ、長与、飛鳥とスター選手が相次いで引退します。その後、3人とも生活のためにプロレス界に復帰するのですが、『全女』ではない別の団体を主戦場にしたことで、女子プロレス界が多団体時代に突入していきます」(プロレスライター)

クラッシュ・ギャルズに関しては99年、飛鳥は長与が旗揚げした団体「GAEA JAPAN」のマットに登場し、翌00年5月、同団体の5周年興行で「クラッシュ2000」として復活し、往年のファンを歓喜させた。そして、05年4月3日、神奈川・横浜文化体育館(現・横浜BUNTAI)で行われたファイナルマッチ&ライオネス飛鳥の引退試合により、「クラッシュ2000」を永久封印することとなる。

「『GAEA JAPAN』では“プロレスの天才”と呼ばれた長与が新弟子を一から育て上げて英才教育を施していました。そのため、『新たなスターが誕生するのでは?』と期待されましたが、残念ながらかつてのクラッシュ・ギャルズのような業界の枠を超えるスター選手は育たず、徐々に集客にも苦戦するようになり、やがて解散。長与は『“クラッシュ”が復活する時は“GAEA”がつぶれる時』と弟子たちに発破をかけて成長を期待していましたが、結果的に飛鳥の引退試合の数日後、『GAEA JAPAN』は解散してしまいましたね」(同プロレスライター)