◆水季は海と少しでも長くいることを選択
そうこうしていると病気が発覚し、水季は世の中には自分で選べないことがあることを思い知らされる。人間は生と死を選ぶことができない。
何事も自分で決めて、その決断に自由でありたいと考えてきた水季だから、その事実には絶望しかないだろう。自ら死ぬ人の気持ちが少しわかる水季は、治療して治らなかったことを憂慮して、治療しないことを選択する。ある意味、自ら死を選んだのだ。
視聴者としては治療して死に抗うことを選んでほしかったが、水季は海と少しでも長くいることを選択する。医学上治らない可能性が高い認識のうえのことなのか、「妄想頑張りすぎ」ているのか、どちらだろうか。
みかんのヨーグルトがなかったらほかの選択肢はないという水季と、みかんのヨーグルトがなかったらみかんとヨーグルトを買ってくる津野の判断。津野のような判断もあるのに水季の頑(かたくな)さがつらい。けれど、か弱い人間なりに必死に考えた結論かと思うとなにも言えなくなる。
◆水季が泣く場面だけブルーが目につかない
死を前に準備する水季は、朱音(大竹しのぶ)に海のこれからを託す。達観しているのかと思えば、死ぬのが怖くなったと朱音にしがみついて泣く。
この場面は少しだけいつもと違って見えた。ブルーを基調にした画作りをしている『海のはじまり』が、この場面だけブルーが目につかないのである。水季の服も朱音の服もグリーンで、部屋の端の植木の緑が印象に残る。
そこから場面が変わり、津野が水季の死を知らせる電話を受ける場面も木々の緑に彩られている。津野のシャツが薄いブルーではあるがそれもあまり気にならない。
『海のはじまり』のブルーの世界はどこか幻想的であり、生々しい死の認識にはそぐわない。緑という生を感じさせる色彩のなかに死を配置したのは、第4話から2度目の登板・ジョン・ウンヒ演出だ。抱き合う大竹しのぶと古川琴音の表情、胸をさする池松の仕草にも陰影があった。