印象的なシーンがある。

 間奏に入ると、アップで映し出された粗品が大きな口を開けてカメラに何か叫んでいる。今度は、その声は私たちには聴こえない。耳が不自由な人の多くは、相手の唇の動きを読んで言葉を受け取るのだという。今、私たちが聴きたくても聴こえない粗品の叫びが、彼ら、彼女らには聴こえているのかもしれない。粗品と彼らだけが今、言葉を共有しているのかもしれない。健常者である私たちに、その疎外感を突き付けてくる演出だ。

 光なら、振動なら、音楽が伝わるかもしれない。自ら取材し、猛勉強したであろう「聴こえない人の世界」に、粗品は踏み込んでいく。怖いことだと思う。「誤解を恐れずに」と言ってしまえば簡単だが、実際に踏み込んでいくのは、本当に怖いことだと思う。

「耳が聴こえない人に届ける音楽」とは何か。その問いにひとつの回答を示して、MVは終わる。正解なのか、正確なのか、本当にこの曲は耳が聴こえない人を救ったのか。そんなことはわからない。だが粗品は、ひとつの回答を示して見せた。問いかけて見せた。

 MVの解説動画は正味1時間半にも及んだ。それぞれのシーンの演出意図や、込められた思いが語られている。その端々に、出演者やスタッフへの感謝が挟まれている。

 そしてその1時間半の動画には、当然だろう、すべての文言に字幕テロップが表示されていた。

(文=新越谷ノリヲ)