◆異常な執着は、愛情だったのだと思う

――世間では、「母親は無条件に子どもを愛するものだ」という母性神話があります。でも、おおたわさんのお母さんの行動は、はたから見ると虐待だと感じてしまいます。お母さんからの愛情を感じていましたか?

おおたわ:愛情はあったんだと思いますよ。愛情の裏返しは無関心ですから。母は私に対して無関心どころか異常な執着を持っていました。愛情をああいう形でしか表現できなかっただけで、私に愛情がなかったわけではないと思います。

<母親の教育ママっぷりは、かなりエキセントリックなものだった。

小学生になると我が家には毎日計算ドリルのノルマがあり、ストップウォッチを持った母の目の前でやらねばならなかった。制限時間に少しでも遅れるようなら、教科書やコーヒーカップが手当たり次第に投げつけられた。

母の怒りは一旦火がついてしまうと制御不能になる。一度などは石でできた大きな灰皿が当たって、額から血が出たこともあった>(『母を捨てるということ』より)

◆愛情の表し方がわからない母親もいる

おおたわ:父が亡くなってからは、わがままを言ったり、嘘を言ったり、面倒を起こしたりすることで、私を振り向かせたかったんでしょうね。愛情の表し方がわからなかったのだと思います。

だから、今となっては母も苦しかったのだろうと思いますね。でも、そんな風に考えられるようになったのも母が亡くなって『母を捨てるということ』を書く過程で、出来事を整理する時間を持てたからです。あのとき母はきっとこんな風な想いだったんだろうなとか、彼女も辛かったのかなとか、どうしようもなかったんだろうな、ということは後から思うようになりましたね。

<著書の後半で、実はおおたわさんの母も、子どものころ祖母(母の母)に“捨てられた”ことが明かされる。祖母は、酒乱の夫に耐え切れずに家を飛び出して、バスを目指した。泣きじゃくりながら追いかける母とその姉。祖母は、なんと先についた姉だけを抱き上げてバスに飛び乗ってしまい、幼い母はひとり取り残されたのだ。