◆人は本当に困るまで、反省もしないし学びもしない

中川:やはり加害の定義は変わっていくという厳然たる事実というか、歴史的な現実だと理解することが重要だと思います。良かれと思ってやっていること、普通だと思ってやっていることの多くは、自分自身もされてきたことです。それを疑うということは、幸福とは何か、善悪とは何かといった、人間の基本的な世界の感覚を疑い続けることであり、とっても疲れることだし、しんどいことです。

自分はできない、自分はもう古い人間だ、だから仕方ない、と開き直った方がずっと簡単だし、なんなら生きやすい可能性さえあります。人を傷つけながら、それでもいいんだと居直ることだってできるからです。

実際、人は本当に困らない限りなかなか変わることはできないと思います。別居・離婚といった出来事があるからこそ自分の加害性を認めてGADHA(モラハラ・DV加害者変容に取リ組む当事者団体)に参加する人はよくいます。それと同じように、職場の加害も、ハラスメントで実際に自分に問題が起きるまでは、これが普通だという感じで、大して反省もしないし、学びもしないものです。