小島慶子は今も昔もモラハラ気質?

 一方で私は、移住後のコジケイに、わずかながら変化を感じていた。彼女の原稿から、夫の話題がなくなったのだ。『解縛:しんどい親から自由になる』(新潮社)に詳しいが、コジケイは親御さん、特に母親との関係がしっくりいかないこともあったが、夫という絶対的な味方を得て幸せになったとさまざまな媒体で発信。夫とはいつまでも男女の関係でありたいと書いた原稿を読んだ記憶もある。日本では配偶者のことを正面切って褒めたり、愛情表現をする人は少数派だから印象に残っていたが、ある時からそういう記述がなくなったのだ。

 これはなんかあったなと思っていたところ、コジケイは、「エア離婚」(コジケイいわく、法的な離婚手続きはとらないが、離婚をすることについて夫婦の合意が成立した状態で婚姻関係を続けること)を発表する。上のお子さんが生まれたばかりの頃、夫が「歓楽街で女性をモノのように消費」したのだという。

 風俗に行った夫は、そこで病気をもらってきてコジケイにも移した。彼女は離婚したがったが、夫が承服しないし、一人で子どもを育てていく自信もなかったので、のみこんだという。しかし、オーストラリア移住後にその時の記憶がフツフツと蘇り、どうしても水に流せないので、2番目のお子さんが大学生になったら、離婚をしようと持ち掛けた。さらにコジケイは家族会議を開いて、夫のしたことは性差別だ、女性の人権を侵害したとお子さんたちに知らしめたそうだ。

 コジケイの“お仕置き”はこれだけにとどまらず、「婦人公論」の手記によると、「なぜあんな、女性をモノと見なすような行為ができたのか」と夫に16年間問い続け、参考資料を送り続けたという。

 風俗に行ったことを水に流せとか許せというつもりはまったくないが、やっていることはモラハラのようなものではないだろうか。