2017年のGizmodo誌のインタビューで、プラットはエゴがカート・ラッセルの顔をしていることについて作中で触れるべきだったと主張している。
脚本・監督を務めたジェームズ・ガンは、カート・ラッセルが“カート・ラッセル”だと受け取られることを望まなかったが、プラットは「カート・ラッセルがスターではない世界線(パラレルワールド)」というアイデアを気に入り、ガンに何度もそれを提案したという。ガンは最後までそれを却下したようだ。
プラットは「ピーター・クイルならカート・ラッセルが誰か知っているはずだ…だから、カート・ラッセルが彼にとってスターではない世界を作らなければならないと考えたんだ。ピーター・クイルは生まれ育った地球の、その時代のテレビや映画のスターたちについて知っているはずだからね。僕はジェームズに何度も提案したよ。『僕は彼がカート・ラッセルだってことを知っているべきじゃないか』ってね。彼(ガン)は『いいから僕を信じろ。やめてくれ』って感じだったよ」と当時の議論を振り返っている。
仮に“カート・ラッセルが大スターでない世界線”が作られていたら、代わりに誰かが活躍している設定や、息子ワイアット・ラッセルがいない設定なども考えられていたのだろうか。
結果としては、エゴは単に“カート・ラッセルにそっくりなだけ”という結論に落ち着くしかないようだ。