クローゼットのスペースが半分空いていたことと、犬が懐いていたこと。この2つの事実をもってサクラは、このトリマー女性とチアキが恋人関係であり、同棲していたという推理にたどり着きます。あとは『GO HOME』が得意とする「根拠のない推測」が「あり得ないくらいバカ当たりする」という定番のご都合主義に着地して、今回もお涙を頂きました。頂くよねえ、お涙。
さて、冒頭の利根川さんがなぜそんなことを言ったかという話ですが、女性同士が恋人関係だったからなんですね。そこは暴いちゃいけない。という、今回だけ見てればまっとうなご意見です。
しかし、第6話までに登場した故人たちはさんざん見せたくなかったであろう腹を暴かれ、知られたくないことも全部知られてきました。故人がLGBTQなら気を遣う、LGBTQじゃない奴は好き放題に暴きまくる。そういうことをやるドラマだということを白状しているにすぎません。相変わらず乱暴なんです、こういうとこ。
■で、LGBTQへの解像度はどうなのよ
クローゼットと犬の仕草だけで恋人同士と決めつけた推理は暴論そのものでしたが、ほかにもけっこうヤバめな描写がいくつかありました。
特にヤバいと思ったのは、亡くなったチアキが恋人だったトリマーを本気で思っていたということを証明するエピソードとして「人工授精についてゲイの人に相談していた」という事実を切り札にしてきたことです。
表向きレズビアンに理解を示しつつ、その幸せは「2人で子どもを育てることしかない」と決めつけている感じがしたんだよな。当然、子どもがほしいカップルもいれば、そうじゃない人もいるわけで、そういうの全部ひっくるめて社会全体として理解していこうよという昨今の風潮があって、その風潮に理解を示す(というか、媚びる)形でレズビアンを登場人物に設定したはずなのに、「子どもを持つ」ことが幸せになる切り札として使われたところに、すごく時代錯誤というか、無理解を感じたんです。