◆言葉と分離させられて音楽や曲は一体どこへ

 今回の『日曜日の初耳学』に限らず、昨今は“刺さる”というコピーで、歌詞の数行を抜き出した音楽特番も人気です。テレビ以外でも、深読みに次ぐ深読みを重ねて陰謀論のように歌詞から別のストーリーをひねり出す個人のブログなどがありますが、音楽や曲は一体どこへ行ってしまったのでしょうか?

 もちろん歌詞は重要です。「雨にぬれても」や「アルフィー」などで知られる作曲家のバート・バカラック(1928-2023)は、「人は結局メロディではなく歌詞を口笛で吹いているのではないか」と言っていますし、細野晴臣との共演でも知られるアメリカのシンガーソングライター、ヴァン・ダイク・パークスも詞を書くことは極めて個人的な内面に関わる芸術であり軽々しく意見することはできない、と語っています。

 けれども、それはあくまでも音楽を構成するパーツのひとつとしての話です。メロディ、リズム、ハーモニー、サウンドと相互に機能し合って、言葉が発する音やもともとの語義が多面的な味わいを持つようになる。それが曲の中で歌詞を楽しむことであるはずなのですね。

 こういうことを言うと、“『EIGHT-JAM』(テレビ朝日系 旧『関ジャム 完全燃SHOW』)のような番組を知らないのか”と言われるかもしれません。確かに現役のミュージシャンによる名曲の構造分析は大変勉強になります。けれども、あれも技術を必要とする専門的な分解の作業であって、現代文的な読解のテクニックで歌詞の意味を考察する作業と大差なくなってしまいます。