かと思えば、ロック調の『やぶさかでない』、ディスコ調の『嵐のマッチョマン』、『炎のエスカルゴ』、2人が気持ちよく歌い上げる歌謡曲『迷惑でしょうが…』など、次々とジャンルの違うシングルを発売。

どの楽曲もヒットを記録し、1988年ころからは全国ツアーも開催するなど、お笑い業界の歴史を変えるような「マジ」の歌手活動を行っていくことになる。

◆秋元康氏が仕掛けたヒット曲の量産体制

それまで、お笑いにおける音楽活動はクレージーキャッツやザ・ドリフターズのように音楽とコントが混ざったもの、さらには番組企画でのユニット活動などがあった。また、芸人がアイドル的な人気を獲得して、ビートたけしのようにデビューする場合も。

だが、とんねるずはその流れを踏襲せず、アーティストとしてライブも念頭において楽曲を販売した。しかも、さまざまなジャンルに挑戦する貪欲さを歌手活動でみせ、音楽業界でもとんねるずは一目置かれる存在に。

とんねるずの歌手としてのブレイクを仕掛けたのは、コンビの生みの親の一人と言える秋元康氏だ。秋元氏はプロデュース・作詞を担当し、とんねるずが出演するテレビ番組とメディアミックスをうまく行いヒット曲を量産させる体制を作っていった。

それまでに無かったお笑いコンビの「マジ」の歌手活動となり、歴史をガラリと変えることに成功したのだ。

◆突然のシリアス路線となった『情けねえ』と『一番偉い人へ』

そんな実験的とも取れるとんねるずの歌手活動は、1991年に大きな転機を迎えることになる。

この年に発表した『情けねえ』は、これまでのとんねるずの楽曲に無かったメッセージソングとなり、大ヒットを記録して日本歌謡大賞を受賞。楽曲は大きな話題となり、『NHK紅白歌合戦』への出場も達成。