数年のときを経て、見知らぬ土地に投げ込まれた寅子はしっかり地盤を固めてきた。寅子が席に近づくと、桂場はむにゅっと唇を上げる。間髪いれずに東京地方裁判所での配属先を告げ、「早く行け」。いつもの調子で、そろりと右腕をつきだし、相手にしっしと手の甲を動かすのだ。

 この動かし方に注目。まず1、2(しっし)の拍で手を動かし、半拍置き次に1、2、3(しっしっし)と動かす。寅子が退室しようとするとふたりをサイドから捉えたカメラが滑らかにフォローし、桂場の指先の延長にあるかのように下手から上手へムーヴ。途中、どこからともなく鐘の音。桂場のしっしと連動したこのカメラワークの美しさは、本作でたぶん最も美しい。

◆映像演出が突出する瞬間

 あんまり安易にたとえるのもあれだけど、そうだな、これまでに筆者が同じように感じてきた映像作品だと、ルキノ・ヴィスコンティの『夏の嵐』(1954年)冒頭。ヴェネツィアのラ・フェニーチェ歌劇場内部を捉えた流麗なカメラワークのことを思い出した。

 激動のイタリア史をヴィスコンティ特有のメロドラマとして描く同作もたぶんに政治的で社会的な意義がある名作だが、それ以上に観客たちはカメラの美しいムーヴに魅了されっぱなしである。同様に『虎に翼』のカメラワークだって、社会的メッセージを超えた力強い表現力がある。

 新潟篇から東京篇となり、桂場の再登場によってこうした映像演出が突出する瞬間は他にもある。たとえば、戦前から寅子たちが憩いの場にしてきた甘味処「竹もと」での場面がわかりやすい。

◆桂場と団子の決闘場面

『虎に翼』© NHK
 第99回、新潟で心を通わせ、現在交際中の寅子と星航一が会話しているところへ、桂場がやってくる。あからさまに嫌そうな顔をする桂場に対して、「そんな顔しなくていいじゃないですか」とすかさず寅子。

 ふたりが個人的に交際することは構わないが、それが社会的な地位にひびくことは注意すべきだと桂場は釘を刺す。ともあれ、彼が竹もとにきた用事はそんな老婆心にあるわけではない。老齢の身からそろそろ店を譲ろうと考えた店主夫婦の下で店の味を学ぶ竹原梅子(平岩紙)の試作品の試食にやってきたのである。