その後、いよいよサクラとマコトは一線を越えてきます。マコトが「紀子さん(娘ね)はまだ何か隠してる気がする。2人の間に何があったか、もう少し検証させてください」とか言って、まだ生きている紀子さんの家を勝手に捜索し始めます。引き出しを開けたり、戸棚をあさったりと、もうやりたい放題です。なんの権利があってこんなことをやってるのか。当然、娘が許可を出した描写はありません。断るに決まってるからです。断るに決まってるから、ドラマはそのシーンを省略して不法な家宅捜索を断行するわけです。

 結果、娘は母親を恨んでいたけれど、母親は娘を思っていたという結論を娘に伝えます。さんざん母親に苦しめられてきた娘でしたが、サクラとマコトは「許せ」と迫るのです。なぜなら、死に際にあなたのことを考えていたから。心の底ではあなたを思っていたから。

 だから、長年にわたる精神的DVを許せ。

 おまえも共依存だっただろう。

 そう言い放つのです。

 娘がそれを受け入れ、一件落着。マジでホラーだぜ、これ。

■これはもう生き方の問題

 今回、サクラとマコトが他人のプライバシーに易々と踏み込んでいくことを肯定的に描いてきたこのドラマの違和感の正体を見た気がしました。

 サクラもマコトも、個人的に真剣に悩んでいる。そして、真剣に取り組んでいる。

 だから、他人は心を開いてくれるに違いないという、根本的な他人に対する甘えがあるんです。

 象徴的だったのは、サクラがわだかまりのある母親からの電話を取るシーンです。逡巡するサクラのそばに商店街で死んだ中年女性の霊が現れ、サクラの肩に手を置いて「電話を取りなさい」と促したのです。

 これはもちろん、サクラの妄想でしかありません。サクラは、自分が必死になって中年女性の思いを娘に伝えたんだから、この中年女性も自分に寄り添ってくれるはずだと考えているということです。実に傲慢な思い上がりだよ。もう一度書くけど、根本的な他人に対する甘えがある。