渡辺謙扮する士族リーダーの妹・たか(小雪)が、自分の夫を殺した相手であるネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)に、夫の鎧を着てほしいと頼む場面。無言の緊張感が持続する画面内、たかがネイサンの服を脱がせていく。

 ある瞬間ふとトムと小雪の唇と唇が重なる。何か触れてはいけないものに触れてしまったかのように、小雪が後ろめたくさっと唇を引く。単なるキスでも接吻でもない。それはどこまでも甘く、映画的な唇同士の接触だった。

◆世界的な存在になった瞬間

 普通に考えて、トム・クルーズと唇を重ねた日本人俳優はたぶん小雪だけだろう。映画史に記憶された場面を生きた小雪はあの瞬間、確かに世界的な存在になった。そしてそれが今でもゆるやかに彼女の俳優人生を持続させている。

 私生活では2011年に松山ケンイチと結婚。3児を出産した。それでも俳優としてトム・クルーズの唇と接触した肉の記憶は永遠に残る。すごく大げさなことを言ってるように聞こえるかもしれないが、小雪とはそういう神秘を体現してしまった俳優なのである。

 結婚以降、俳優としての露出は減った。それなのに、ぼくらが小雪の存在を忘れたことがあっただろうか? 連ドラ初主演作『きみはペット』(TBS、2003年)で松本潤とトレンディなラブロマンスを演じていた頃は確かに懐かしい。

 でも、同作以来14年ぶりの主演ドラマとなった『大貧乏』(フジテレビ、2017年)の小雪に対しては、復帰作だなどと軽々しく思わなかった。『大貧乏』の裏で放送された木村拓哉主演ドラマ『A LIFE~愛しき人~』(TBS、2017年)には、松山ケンイチが出演し、リアルな夫婦対決だと形容されてもいた。それがどれだけ小雪という存在を矮小化するのか。小雪とは、いつでも現在進行形で特別な存在なのだから。

◆解像度を数値化する存在

『スカイキャッスル』第2話冒頭で、九条からの指導権を獲得したはずの浅見紗英(松下奈緒)が、前の指導家庭だった冴島家の崩壊の一因が、九条にあるのではないかと疑念を抱いてこう言う。

「まるで人間の血が通わない機械みたい」

 確かに九条は鬼のサイボーグ講師である。役柄に合わせて小雪の立ち居振る舞いもサイボーグ感満載。裏を返せば、このセリフはあえて機械的な演技に徹する小雪への褒め言葉なのではないか?

 小雪の演技は鋼のように無駄がないばかりか、本作に出演する他のどの俳優とも違って、変にアグレッシブになることを封印している。リアルにサイボーグになろうとしている方向性の先にはやっぱりあの役との類似が。第2話ラスト、計算外のハプニングで九条が左腕に切り傷を負うのは、『女王の教室』第7話で天海扮する阿久津真矢が右手を負傷する姿と似ているのだ。

 視聴者は九条の存在を通じて、スカイキャッスルという錯綜した空間を俯瞰し、事の経緯を客観的に観察できる。ラビリンスのようなドラマ全体の構造上、展開が見えづらかったり、分かりづらい部分をきめ細かい解像度まで上げて見やすくしてくれるのが、小雪の役割である。

 逆にいえば、本作の見え方は彼女次第でもある。そういえば、家庭用テレビとして当時高画質だったパナソニックのビエラCMに小雪が起用されていたことを思い出した。あらゆる事物を鮮明に写し出す画面内の小雪自体が、解像度を数値化する存在だったからだ。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】

音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu