【ぼくたちの離婚 Vol.23「結婚してる私」でありたい 前編】

 書籍化・コミック化も果たした人気ルポ連載「ぼくたちの離婚」。これまであまり語られてこなかった「男性側の視点から見た離婚」をライターの稲田豊史さんが取材しました。

※以下、稲田さんの寄稿。

 日本人の30人に1人は何らかの精神疾患を患っており、生涯を通して5人に1人は“こころの病気”にかかるといわれている(厚生労働省のHPより)。芸能人などが自らの体験を告白する機会も増え、精神疾患に対する理解も徐々に深まっているが、当事者の身近にいるパートナーや家族の苦悩に光が当てられる機会はまだ少ない。今回、結婚前からパートナーの言動に振り回され続けた司法書士の定岡洋平さん(仮名/46歳)のケースを紹介したい。

◆12歳下の「ガチガチの腐女子」

 定岡さんが12歳年下の元妻・凛子さん(仮名)と出会ったのは、10年前に参加したあるオフ会の場。定岡さんの言葉を借りるなら、凛子さんは「ぜんぜん有名ではない声優」だった。当時、定岡さん36歳、凛子さん24歳。

「専門学校の声優科を卒業して、事務所の預かり所属を経て正所属にはなってはいたものの、たいした仕事は入らないので派遣社員として働いていました。趣味はBL系のコンテンツ漁りとネットゲーム。まあ、ガチガチの腐女子です」

 現在の凛子さんは声優業を廃業しているとのこと。SNSに自撮り写真をアップしているというので見せてもらうと、タレント並みの容姿だった。定岡さんは「盛っている」と言うが、それでもかなりのもの。スレンダー、黒髪ロング、ややゴスが入ったファッション、欧米風の顔つきに目を引かれるが、定岡さんいわく「両親はともに日本人」だそうだ。

※写真はイメージです
※写真はイメージです(以下同)
「知り合ってからしばらくは、オフ会仲間数人の集まりで会うだけの関係でした。1対1のやり取りと言えば、LINEでときどき趣味話をする程度。僕は腐女子の女友達が多くてBLコンテンツにはある程度通じていましたから、わりとディープな会話ができたんです。プレイしているネットゲームも同じでしたし」

◆正直、タイプではなかった

 ごくたまに、eスポーツの大会やアニメ関係のイベント帰りに2人でお茶をする程度のことはあったが、それどまり。そのまま3年ほどが過ぎた、ある日のこと。

「LINEで話があると言われ、指定された店に行くと『私と付き合ってみない?』と言われました。12歳も歳下ですし、3年間もそんな素振りがなかったので、そういう可能性はないものと思っていたんですが……」

 定岡さんは凛子さんの申し出を承諾した。定岡さんはずっと凛子さんと付き合いたかったのだろうか? そう聞くと、意外にも否定された。

「正直、外見は好みのタイプではなかったです。家族愛、みたいなものでしょうか」

◆あらゆる不快が僕のせい

 ところが、交際は決して順風満帆ではなかった。

「彼氏彼女の関係になった途端、凛子は不機嫌のかたまりみたいになりました。趣味の話をするとき以外は、基本的にネガティブな感情を僕にぶつけることしかしない。疲れた、お腹が空いた、暑い、寒い、店が混んでいて嫌だ、電車内の赤ん坊がうるさい、上司がムカつく、あんなやつ死ねばいい……。自分が被るあらゆる不快が、まるで僕のせいであるかのように」

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 付き合って最初の誕生日のこと。

「彼女が前々から欲しがっていた高級ヘッドホンをプレゼントしたんですよ。アニソンをいい音で聴きたいと言っていたので。でもカフェでそれを渡したら、突然彼女の顔から表情が消えて、押し黙ってしまったんです。僕はわけがわからなくなって、『どうしたの?』と何度も聞いたんですが、何も答えない。ヘッドホンの箱を手に取っては置き、手に取っては置きを何十回も繰り返し、天井のほうを見て考え込んでいる。そのまま15分くらい気まずい時間が流れました」

 定岡さんがおずおずと「今日はもう帰ろうか?」と言うと、ようやく凛子さんが口を開いた。

「普通……誕生日って、指輪とかアクセサリーとかじゃない?」

 恨みに満ちた、鬼の形相で定岡さんを睨みつける凛子さん。顔は上気して真っ赤。目には涙が溜まっていた。

「睨み殺されるかと思いました。凛子は『自分が思っていたことと違う』という状況に、尋常でないストレスと激しい怒りを感じるんです」

◆「私を意思決定に巻き込まないで」

 凛子さんは、何かにつけて「自分の責任で物事を決めたくない人」だった。

「デート中にどこでご飯食べようか、何食べたい? と聞いても絶対に答えない。なので僕がその場で調べてどこかの店に入ると、必ずああだこうだと文句を言う。内装が汚いね、店員の態度が気に入らない、味が好みじゃない、この料理でこの値段は高すぎる、はずれだね。店を選んだ僕の責任だと言わんばかりの恨み節で」

 それがあまりに何度も続いたので、定岡さんはあるとき、恐る恐る言った。「だったら今度からお店は一緒に決めようよ」。すると、凛子さんは激怒してこう言った。

「私を意思決定に巻き込まないで」

 どういうことか。

「自分が意思決定に入っていなければ、僕に対して一方的に文句が言えるけど、一緒に決めてしまったら、文句が言えなくなる。それが嫌だということです」

 あまりにも自分勝手すぎるが、それが凛子さんのデフォルトだった。

◆性的欲求を抱いたことがない

「付き合いたての頃、旅行に行きたいというから1泊2日の計画を立てて伝えたら、突然沈痛な面持ちで押し黙っちゃったんですよ。あれ、なんか変なこと言ったかなと思って『どうしたの?』と聞いても、沈黙。みるみる不機嫌になっていく。『もしかして旅行あんまり気が進まない?』と聞いたら、震えながら『日帰りがいい』と」

 凛子さんは、他人との身体的な接触を極端に嫌う人だった。彼氏とて例外ではない。それゆえ泊まりを避けたのだ。

「手をつないではくれましたが、基本的に体に触られることは好まない。キスも、凛子の精神状態がかなり良好なときでないと許されません。聞くと、今までの人生で性的欲求を抱いたことがないし、正直言えば、あなたが性的欲求を抱いていることが信じられないと」

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 肉体関係がないまま1年半が経過。凛子さんの不機嫌は相変わらず。

「僕も40歳を過ぎたので、そろそろ結婚のことを考え始めました。でも凛子とは肉体関係もないし、正直このままではとても結婚なんてできない」

◆「籍を入れたいなら、いつでも入れるけど」

 定岡さんは慎重に言葉を選びながら、今後について凛子さんに相談した。すると凛子さんは驚くべきことを口にした。

「籍を入れたいなら、いつでも入れるけど」

 定岡さんは驚いたが、ようやく関係性が前進したと思い、すぐに結婚の準備を進める。

「ただ結婚式は絶対に嫌だと拒否されました。バカみたいな衣装を着て晒し者にはなりたくないと。だから互いの両親を招いた食事会だけ開きましたが、最初の挨拶以外、凛子は一切口を開かず、愛想笑いもせず、僕が機嫌取りで話しかけても無視。うちの両親はものすごく怪訝(けげん)そうな顔をしていましたよ」

 ともあれふたりは婚姻届を提出。新居も決まり、都内の湾岸高層マンションで同棲生活が始まった。ただし布団は別々。寝室に布団を2つ並べて敷いていた。引っ越して2日目の夜、事件が起こる。

◆新婚なのに身体接触を拒否

「布団でキスしようと寄り添ったら、首をガッとつかまれて怒鳴られました。『洋平さんはウキウキしてるかもしれないけど、私はそれどころじゃないの! いっぱいいっぱいなの!』。そう言ったあとは僕の服をぎゅっと握りしめ、小刻みにブルブル震えてるんです。こりゃあ駄目だと思ってそのまま寝ました」

 その日を境に、凛子さんは定岡さんとのセックスはもちろん、身体接触も避けるようになる。しかも凛子さんは、定岡さんと一緒に過ごす時間をまったく作らなくなった。

「凛子は土日をすべて同性の腐女子友達との予定で埋め、僕と過ごす時間を徹底的に削りました。もう少し一緒に過ごす時間を確保してほしいと言うと、何を言ってるんだという表情でこう言われました。『家でずっと一緒にいるのに、そのうえ一緒に出かけるなんて理解できない。私はあなたと一緒に何かしたいわけじゃない。私の時間を盗まないで』と」

ぼくたちの離婚 Vol.23 前編
◆まさかの「子供が欲しい」

「時間を盗む」とは穏やかではない。面食らった定岡さんが「じゃあ、なんで籍を入れてもいいなんて言ったの」と抗議すると、凛子さんは怒りを爆発させた。

「今まで散々我慢してきたんだから、予定くらい入れたっていいじゃない! 家でまで気を遣いたくない!」

 何が何だかわからない。そもそも交際を持ちかけてきたのは凛子さんのほうだ。“我慢”させるほど拘束した覚えもない。そもそも交際中も月に1度か2度程度の頻度でしか会っていないのだ。

 この結婚を続けるのは難しい。定岡さんがそう感じ始めた矢先、信じられない言葉が凛子さんの口から発された。

「子供が欲しい」

◇後編「「私をレイプするわけ!?」触られたくないけど子は欲しい妻が夫に隠した「真意」」に続く。

【ぼくたちの離婚 Vol.23 「結婚してる私」でありたい 前編】

<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>

【稲田豊史】

編集者/ライター。1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ぼくたちの離婚』(角川新書)、コミック『ぼくたちの離婚1』(漫画:雨群、集英社)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「SPA!」「サイゾー」などで執筆。

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