今回、前半でトオルが軍医だったヨウコさんに聞いたことがありました。戦場でもう助からない人に、かけてやる言葉はあるのか、と。
ヨウコさんは「Laugh(笑え)」だと言いました。笑えば、脳が錯覚して臓器を動かし始めることがある。だから、笑え。
だけど、人から「笑え」と言われて、心から笑う人はいません。だからヨウコさんは、誘い笑いをするのでした。大声で爆笑して、なんとかシゲさんを笑わせようとしたのでした。
このシーンで描かれたのは、「笑え」と「生きろ」が同じ意味になる瞬間です。大切なことなのでもう一度書いておきます。「笑え」と「生きろ」が同じ意味になる瞬間があるんです。
シゲさんの死亡が確認されるとヨウコさんはひとしきり泣きじゃくり、それからサッと切り替えて仕事場に戻っていきます。それはヨウコさんにとって、もう数えきれないほど繰り返してきた、自分の患者が死んだときのルーティンに違いありません。ECMOが割り振られなくて死んだから悔しくて泣いたのではない、ただ死んだから泣いたのです。
そういうのが全部伝わってきた、小池栄子のすごいお芝居を見ました。
■一方で社会問題なんですが
一方で今回は日本の優秀な保険制度とか、マイナンバーカードとか、寝っ転がりにくい公園のベンチとか、社会問題にもいろいろ触れられました。
こちらはちょっとつまみ食い程度なんですよね。あんまり物語に関係がない。というか、あえて関係を持たせないようにしていると思うんです。
今回でいえば、例えば公園のベンチで寝っ転がりにくいからシゲさんが身体を休める場所がなくて倒れた、という話なら社会性のある物語だね、ということになりますが、シゲさんは「まごころ」のロビーにいつでも入れて、クーラーの効いた場所で寝ることができたので、あんまり関係ない。そこに因果関係を持たせようと思えばすぐできるわけですから、やっぱりクドカンは社会問題と自分の物語を意図的に切り離そうとしているように見える。