ロックミュージシャンでギタリストの布袋寅泰さん。 こわもてな顔立ちでいかつい雰囲気がありますが、彼はいったいどのような学生時代を送っていたのでしょうか?ロックンローラー布袋寅泰さんの意外な過去についてご紹介していきます。

中退も!現役ロッカー・布袋寅泰の学歴

名前:布袋寅泰(ほてい ともやす)
性別:男性
生年月日:1962/2/1
星座:みずがめ座
血液型:B型
身長:187cm
出身地:群馬県高崎市江木町
職業:ミュージシャン・ギタリスト

19080年にBOØWYのギタリストとしてデビューし現在はソロとして活動する傍らにタレントや俳優として映画やCMへの出演し様々な活動しています。

海外では「HOTEI」という名で親しまれており、イギリスやドイツなどのヨーロッパを中心にロックバンドを組み活動もしていました。

日本での活動よりも海外での活動のほうが多かったころは知名度も海外のほうが高かったのかもしれません。

最終学歴は新島学園高校

出身高校は群馬県安中市にあります、新島学園高校です。現在の偏差値は53で群馬県内では43位/164件中です。

明治時代の教育者、新島襄の名前を由来としたプロテスタント系の男女共学の私立高校です。 新島学園高校の卒業者としては元マラソン選手の五十嵐美紀さんやモデルの阿久津ゆりえさんがいます。

総合的な学習ではプロテスタント系の学校なのでキリスト教の学習が週に一度あり、部活動も演劇部や聖歌隊なども活動しているそうです。

中学校は新島学園中学校

中高一貫だった新島学園中学校はほとんどの生徒が新島学園高校へと進学していきます。

偏差値は49で、入学してくる生徒は地元の名士の子息・子女や、卒業生の二世が多いそうです。また高校と同様に毎朝の礼拝と、週1回「キリスト教」の授業科目があります。

キリスト教精神を伝えるために創立され伝統的なぶんかがつよかったのですが時代の流れとともに校風が変わりつつあります。

当時の群馬県では中学生になると頭髪を丸刈りにしないといけないという校則があったため私服登校が可能な中高一貫の新島学園中学校に入学したそうです。

テニス部とブラスバンド部に所属してスポーツも得意だった

現在はミュージシャンとして活躍されている布袋寅泰さんですが中学時代はブラスバンド部とテニス部に所属し、音楽以外にスポーツも得意だそうです。

ブラスバンド部ではトランペットを担当していました。 ギター以外にもトランペットを吹いていたということで楽器は相当得意そうですね。

小学校は高崎市立城東小学校

布袋寅泰さんの在籍していた小学校は高崎市立城東小学校です。なんと隣の前橋市にも同じ名前の城東小学校があるそうです。

高崎駅東口から最寄りの小学校でありながら閑静な場所にありきめ細かな児童対応、保護者の協力、活発な地域との連携があり、バランスのとれた学校です。

小学生の時から洋楽にハマってたくさん聴いていた

幼少期はカブスカウトの制服に憧れたり、小学校高学年になると長髪にしてベルボトムのジーンズを履くような少年でした。

幼いころからピアノを始め、母親がハリウッド映画のサウンドトラックやアルゼンチンタンゴを好んで聞いておりその影響を受けて自身も洋楽を聞くようになりました。

また母親の曲リクエストを受けてよく洋楽を引くようになっていました。

長髪を指摘されて中退!布袋寅泰の学生時代のエピソード

布袋寅泰さんは実は高校を中退していました。その理由が、学校側から髪型を指摘されたことが原因でした。指摘された教師に「イエス様の方が僕より長い」という言葉を放ったそうです。

キリスト教の学校としてはイエス様を出されては参ったというような感じでしょうか。

このエピソードについて『クイズダービー』の問題の一部として出題されました。実際に長髪にこだわりがあったわけではないそうで、中退後に髪を切ったそうです。

一方の学校側も皆が否定するわけではなく氷室京介や松井恒松、山田かまちの小学校時代の担任をしていた先生が布袋寅泰さんを擁護していたという話があります。

中学生の時にエレキギターを始める

中学時代には14歳の時にグラムロックバンド「T-Rex」のマークボランに刺激を受け、エレキギターを始めたとさせています。

初めて買ったギターはストラトキャスタータイプでした。ちなみにギターの購入資金は母親の財布から盗んだ1万円だったそうです。

高校生の時にグラムバンドのコピーバンドを結成

高校時代にはグラムロックのコピーバンドを結成し活動をしていました。

グラムロックバンドとは主にイギリスで1970年代前半に流行した、ロックのジャンル。由来は、魅惑的であることを意味する英語の"glamorous"から来ています。日本のロックやファッションにも影響を与えました。

有名なアーティストとして「ザ・ストゥージズ」「ブラック・サバス」などのバンドがありますがなかなか馴染みがありませんね。

頻繁に海外アーティストのライブを観賞

高崎市に住んでいた布袋寅泰さんはたびたび武道館へ行き、海外アーティストのライブを鑑賞していました。当時ライブに行っていたことを自身のブログでも綴っています。

布袋寅泰さんが高校時代だった1980年ごろにちょうどはやっていたのはブロンディの「Call Me」やポールマッカートニーの「カミングアップ」、クイーンの「地獄へ道ずれ」「愛という名の欲望」が有名でした。

デビット・ボウイに憧れ眉をそり落として登校したことも

高校時代は真っ赤なスーツで登校したり、デヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』のジャケットの写真をまねて自身も眉毛をそり落として登校していたという過去もありました。その際は先生にマジックペンで眉を書かされたということもありました。

高校を卒業する直前に退学してしまった布袋寅泰さんですがその後は大学へは進学せずに最終学歴は高校中退で中卒になるそうです。

その後は「BLUE FILM」というバンドを組み、当時人気絶大だった氷室京介さんの在籍する「デスペナルティ」というバンド同じく一時代を築いていました。

1981年、もともとは暴威という名前でデビューしましたが途中で「BOØWY」に改名しました。このBOØWYという名前の由来も高校時代にあこがれていたデヴィッド・ボウイからきているそうです。