椎名林檎さんは歌詞も話し言葉もとても賢いイメージがありますが、進学校に通いながら高校中退の経緯が気になりますね。同じく現在も根強い人気の歌手aikoさんとは、なんとデビュー前からのライバルだったそうで、その理由についてもまとめてみました。

椎名林檎のプロフィール!血液型や身長は?

生年月日:1978年11月25日(現在40歳)
出身地: 埼玉県浦和市
血液型: O型
身長:  167㎝
体重:  47㎏

椎名林檎さんは1998年5月にソロでデビュー、また2004年から2012年までロックバンド『東京事変』のボーカルとしても活動されていました。

歌詞とファッションが奇抜で歌唱力もとても高く、ギターをかき鳴らしながら巻き舌で唄う姿はものすごくかっこよかったですよね!このかなり個性的なパフォーマンスで一気にブレイクしました。

様々な有名アーティストとコラボしたりトリビュートアルバムに参加したり、アイドルに楽曲提供するなど、プロデューサーとしても広く活躍されています。

プライベートでは2001年に男児・2013年に女児を出産、2児の母でもあります。

椎名林檎の学歴①「静岡市立清水有渡第二小学校」

椎名林檎さんの出身小学校は『静岡市立清水有渡(うど)第二小学校』です。清水市は静岡市と合併したため、現在は静岡市清水区になります。椎名林檎さんはこのあと12歳まで静岡で過ごすことになります。

5歳から習い事を始め自分を表現する第一歩を経験し、ご両親の音楽的趣味の影響を最も受けたのがこの静岡での生活でした。椎名林檎さんの幼少期を振り返ってみましょう。

父親の仕事の関係で静岡育ち!

椎名林檎さんは埼玉県で生まれ2歳の頃静岡県に引っ越しました。お父様は外資系の石油会社勤務で、何度かご家族で引っ越しをされているのでおそらく転勤族だったのですね。

お父様はクラシックとジャズ、お母様は歌謡曲が好きだというご両親のもと、家の中では常に音楽が流れているという環境で育ちました。音楽的にとても恵まれた環境だったのですね!

この生活がのちに『椎名林檎』としての音楽のルーツに多大な影響を与えているということに、この頃はまだ気がついていなかったでしょうね。

ピアノとクラシックバレエを習っていたが…

椎名林檎さんは5歳の時からピアノとクラシックバレエを習い始めました。しかし生後まもなく受けた『先天性食道閉鎖症』の手術の後遺症で、左右のバランスが取れないという障害を負ったため2つとも断念せざるを得なくなりました。

手術をすれば根本的に治せるのですが、その手術のせいで諦めなくてはいけなかったことがあったのは辛かったでしょうね。

しかし椎名林檎さんはこの時の経験が『自分を音楽に向き合わせた』と話しています。もしバレエで成功していたら、『椎名林檎』というシンガーソングライターは生まれていなかったのかもしれませんね。

椎名林檎の学歴②「福岡市立百道中学校」

小学校6年生まで静岡県で過ごした椎名林檎さんは、その後福岡県に引っ越し『福岡市立百道(ももち)中学校』に入学されます。ご自身の楽曲の歌詞に『百道浜』として登場している地域です。

演劇部に所属し顧問に演劇用の楽曲を依頼されたことがきっかけで、本格的に曲作りを始めたのがこの頃です。またお兄様の影響で洋楽に傾倒していきました。中学3年でバンドを組み文化祭で演奏もされています。

一方、一気に洋楽にかぶれてしまったことで同級生と話しが合わなくなり、あまり学校には通わなくなってしまったのだそうです。

椎名林檎の学歴③「福岡県立筑前高等学校」

中学校にあまり通ってなかったと発言した椎名林檎さんですが、受験はきちんとされていて福岡県立筑前高等学校に進学されます。偏差値60の進学校、学力もとても優秀だったのですね。

高校時代は軽音楽部に所属し、いくつものバンドを掛け持ちし様々なパートも担当しました。そしてこの頃、自身の楽曲をJASRACに登録する際に初めて芸名を名乗りました。こうして16歳の時についに『椎名林檎』が誕生したのです!

バンド掛け持ち!aikoがライバル!?

椎名林檎さんは高校2年の時、いくつか掛け持ちする中のひとつ『マーベラスマーブル』というバンドでコンテストに出場しています。

ヤマハ主催の『ティーンズミュージックフェスティバル』全国大会で奨励賞を獲得されたのですが、その時に優勝したのが歌手のaikoさんなのだそうです。

プロのシンガーとしてお互い人気者になる前に、お2人はもうすでに出会っていたのですね!その頃からいいライバルだったのだそうです。

音楽で身を立てていくため中退!

コンテストで奨励賞をもらい音楽に専念したいと思い始めた椎名林檎さんは、高校2年の3学期をもって高校を中退します。有名大学合格率や音楽に関係ない勉強は必要ないと思ったのだそうです。

そして18歳の頃ソロで出場した、同じくヤマハ主催の『ミュージックフェスティバルジャパン』でファイナルに残り、のちに大ヒットとなる『ここでキスして。』を披露し優秀賞を獲得しました。