日本の国民的フォークデュオ。そのまっすぐな歌詞と優しいギターのメロディー、そして綺麗なハーモニーでたくさんの人を魅了し続けています。そんなゆずの現在の年齢や出身、また結成のきっかけや伝説の路上ライブなど、気になるトピックをまとめました。
ゆずのプロフィール
国民的とも言えるフォークデュオ、ゆず。結成は1996年3月。2人は地元の同級生でした。路上ライブからはじめ、メジャデビューしてからも数々のヒット曲を生み、紅白歌合戦には毎年出場、レコード大賞を何度も受賞した日本を代表するアーティストです。
北川悠仁:リーダー
名前:北川悠仁(きたがわ ゆうじん)
生年月日:1977年1月14日
出身:横浜市磯子区岡村
身長:175cm
体重:57kg
血液型:A
ボーカル、ギター、タンバリン、ピアニカを演奏する北川悠仁さん。2019年現在は42歳です。
明るいハスキーボイスが特徴的で、兄が使っていたドラムセットを叩き始めたことが音楽への入り口だったそうです。
岩沢厚治:サブリーダー
名前:岩沢厚治(いわさわ こうじ)
生年月日:1976年10月14日
出身:横浜市磯子区岡村
身長:165cm
体重:54kg
血液型:O
ギター、ボーカル、バンジョー、ハーモニカを演奏する岩沢厚治さん。2019年現在は43歳です。
伸びのあるハイトーンボイスの歌声の持ち主で、音楽へのきっかけは13歳の頃に父親がプレゼントしてくれたギターだそうです。
年齢で見るゆずの歩み!伝説の最後の路上ライブとは?
2016年には20周年を迎え、2017年では紅白歌合戦でトリを務めたゆず。そんな2人はどのようなきっかけでゆずを結成したのでしょうか。
出会いは小学校!ゆず結成は何歳?
北川悠仁さんと岩沢厚治さんは地元が同じで同級生です。2人は小学校の頃から一緒の学校でしたが、中学3年生になるまで一緒のクラスにはならなかったそうです。
したがって、2人が仲良くなったのが中学3年生となります。しかし高校は別々であったため、再び疎遠になったと言います。
当時、北川悠仁さんは私立横浜高校に入学し、ドラマーとしてバンド活動をしていました。
岩沢厚治さんは県立富岡高校に入学し、その後国立音楽院専門学校に進学します。そんな岩沢厚治さんが路上ライブをしているところに北川悠仁さんが声をかけます。意気投合した2人はフォークデュオを結成しました。
1996年3月、2人とも19歳の出来事です。最初はゆずではなく、当時吸っていたというタバコの銘柄「Light's」という名前だったそうです。しかし「ダサいから」という理由で、ゆずに変更されたと言います。
メジャーデビューは何歳?最後の路上ライブに7000人…!
2017年、ゆずは音楽バラエティ「バズリズム」に出演した際に、デビュー秘話について語りました。
ゆずのメジャーデビューのきっかけとなったのは路上ライブでできたファンの2人だと言います。そのファンからデモテープを求められ、作成しました。
そんなときに、ライブを偶然見ていた現所属事務所の社長がゆずを気に入り、デモテープを求められたため、ファンの二人に渡す予定だったデモテープを渡したのだそうです。
その後、1998年2月にメジャーデビュー。2人とも21歳の頃でした。同年6月にはシングル「夏色」をリリースし、口コミで人気が広がりました。
また1998年8月30日に行った「伝説の路上ライブ最終日」では、会場の横浜伊勢佐木町・旧松坂屋前が、ファンで埋め尽くされたと言います。当時、ファンが殺到し、その数は7000人までのぼったと言われています。
ミリオンセラーアルバム「ゆずえん」は何歳のとき?
初動売上50万枚以上、爆発的大ヒットになったゆずの2枚目オリジナルアルバム「ゆずえん」。ゆずでは初めてミリオンセラーになったアルバムです。
発売されたのは、1999年10月で、北川悠仁さんが22歳、岩沢厚治さんが23歳のときでした。
「あいのり」主題歌「始まりの場所」も収録され、そのほか「からっぽ」「いつか」「サヨナラバス」「センチメンタル」「友達の唄」など人気のシングル5作も収録されています。
NHK紅白初出場はいつ?
今や紅白常連となったゆずですが、初出場は2003年、第54回紅白歌合戦となります。当時、北川悠仁さんが26歳、岩沢厚治さんが27歳でした。
1999年に一度オファーがあったそうですが「まだ出れる器ではない」と辞退したというエピソードもあるそうです。