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“事実をもとにした作品”を観たり読んだりするとき、人はどこまでを“真実”で、どこからを“脚色”だと判断しているだろうか。ドキュメンタリー映画では、“事実そのまま”を観客に届けようとする一方で、「事実をもとにした映画(主にノンフィクション映画)」は基本的に、モデルとなった人物や関係者を、俳優という別人が、脚本をもとに演じる。果たして、そこで描かれるどこまでが“真実”といえるのだろうか。こんな“映画化”に関する疑問を、“映画”という形で追求する衝撃作『メイ・ディセンバー ゆれる真実』が7月12日(金)より日本公開となる。
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』レビュー
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』あらすじ
全米に衝撃を与えた、実在の“メイ・ディセンバー事件”。当時36歳だった女性グレイシーは、アルバイト先で知り合った13歳の少年と情事におよび実刑となった。少年との子供を獄中で出産し、刑期を終えてふたりは結婚。その後夫婦は平穏な日々を送っていたが、事件の映画化が決定し、女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)が、映画のモデルになったグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)を訪ねる。
彼らと行動を共にし、調査する中で見え隠れする、あの時の真相と、現在の秘められた感情。そこにある“歪み”はやがてエリザベスをも変えていく…。<よそ者であるエリザベスの憶測>と<当事者の意外な本心><新たな証言>すべてが絡み合い、観ている貴方の真実もゆらぎ始める。
レビュー本文
“実話”を世に向けて発信する者に生じる、大きな責任
「ノンフィクション作品に求めるものは何か」と問われた場合、人々は「興味深さ」や「衝撃」「巧みな見せ方」といった要素を挙げるかもしれないが、わざわざ「事実」と答える人はそこまで多くないのではないか。問われるまでもなく、人々は「ノンフィクション作品=基本的に事実を描いている」という前提で鑑賞するからである。
『最強のふたり』『アメリカン・スナイパー』『グリーンブック』、さらに『死霊館』まで、これらはすべて“実話をもとにした作品”だが、これらを観た人のどれだけが、「映画は事実にどのくらい忠実なんだろう」と調べているだろうか。調べずに映画を観て終わった人々にとって、“これらの映画のイメージ”はそのまま“モデルとなった事実のイメージ”になりかねない。
とすれば、ノンフィクション作品の語り手には自然とある責任が生じている。人々の好奇心を刺激するだけでなく、「真実」をなるべく忠実に語る責任が語り手にはあるといえる。実話がモデルだと語る作品が世に広まれば、そこで描かれるものが、世界にとっての「真実」になるからである。今作において、この重大な責任を負う側にいるのは、ナタリー・ポートマン演じる人気女優エリザベスである。
エリザベスの歪んだスタンス、グレイシーとの大きなギャップ
ポートマン演じるエリザベスは、グレイシーという人物像、彼女とジョーの関係について“理解を深めるため”に同居生活を始める。仕草を観察し、可能な限り事件当時から現在に至るまでのふたりについて多くの質問を投げかける。
しかし、果たしてエリザベスは、真にグレイシーを“理解”しようとしているのだろうか。エリザベスの立ち振る舞い・発言からは、“悪びれもせず生活している”グレイシーの過去の行いや現在のスタンスに対する、エリザベス自身の非難めいた考え方が見え隠れし、時にエリザベスはグレイシーに対して「無邪気すぎる」などと実際に批判的な言葉も投げかける。
グレイシーという人間を知り、理解し、演技として再現することが本懐のはずのエリザベス。そんな彼女がグレイシーやジョーの考え方・状況に口を出したり、考え方を変えさせようとするのはそもそも本末転倒なのではないか…。そんな我々の違和感も届かず、エリザベスは常にどこか主観的にグレイシーを分析し、固定観念の色眼鏡をとおしてグレイシーを観察し続ける。
“真実”を世に向けて語りたいのはエリザベスら映画製作側であって、もはやグレイシーは外部への興味もなければ、そもそも事件当初から“深く考えていることなどない”、そんな人物に見える。しかし、そのギャップをエリザベスが自覚する様子は一切見られず、何やら高尚なこだわりを持ってグレイシーに歪んだアプローチを続けていく。最初から空回り状態であるため、エリザベスが必死になればなるほど滑稽に見えてくるのだ。
クリエイターの傲慢な行いを容赦なく風刺
さらに、“そもそもエリザベスは、グレイシーを批判したり、グレイシーとジョーの人生に影響を与えるような立場にあるのか”という疑問がある。作中では、エリザベスが来なければなかった価値観・人間関係の変化や、軋轢(あつれき)が生じていくが、それでもそういった出来事は“起きるべくして起きた”といえるだろうか。
倫理に沿うことだけが幸せなのか。他人の幸福論を“一般論”の尺度で否定する権利など誰にあるのか。そして、“作品のため”という名目があれば、他人の人生を(さらに)歪めるような行いさえ許されるのか。今作は細かい会話や仕草をとおして、多くの疑問を我々に投げかける。
どこか世間は、一度世間を騒がせた人物や有名人に対する人権意識が低い。誰であろうと、人には人権があるはずなのだが、「映画や本、記事にするためであれば彼らの人権は二の次」という前提が当然のように浸透してはいないだろうか。他人の人権を侵害したり、名誉を毀損することはそれこそ違法行為なのだが、自身を棚に上げてプロジェクトを進めてしまうところにはクリエイター特有の傲慢さがにじみ出ている。
もちろんグレイシーやジョーにも足らない点はあるが、「“演技のため”に一線も二線も超え、さらには理解度も特に深まったように思えない」という女優エリザベスの狂気があまりに今作では衝撃的。そしてもちろんその衝撃は、狂気に説得力を持たせたナタリー・ポートマンと、すばらしいキャラクターメイクによって脚本の味をスクリーンに映し出したジュリアン・ムーア、チャールズ・メルトンの演技力あってこそのものだ。
衣装やメイク、音楽など注目ポイント多数!
そして、今作でご注目いただきたいのは、ストーリーテリングにおける巧みな演出。
冒頭からグレイシーのキャラクター性を強調する大げさな音楽が流れたり、冒頭では黒い服に身を包むエリザベスの衣装が目に見えて変化していったり、グレイシーがドレスを選ぶ娘に対して行うちょっとした対応が強く印象に残ったり、要所要所で人々の“ズレ”や“変化”を見事に演出しているのだ。
観客がメッセージを拾いに行くことでより深く楽しめる今作だからこそ、観客には「この映画には何かある」と思わせる必要がある。ひとつひとつの演出によって生まれる“ちぐはぐ感”や違和感が、自然と「表面の物語だけでは受け取れない何か」の存在を感じ取らせてくれる緻密な構造も、今作の味わい深いポイントだろう。
観れば観るほど、考えれば考えるほど味わい深い、ウィットに富んだ映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』は7月12日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開。
作品情報
監督:トッド・ヘインズ(『キャロル』)
脚本:サミー・バーチ
原案:サミー・バーチ、アレックス・メヒャニク
出演:ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーア、チャールズ・メルトン
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2023年|アメリカ|カラー|アメリカンビスタ|5.1ch|英語|字幕翻訳:松浦美奈|原題:MAY DECEMBER|117分|R15+
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#メイ・ディセンバー