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今年公開の洋画作品初となるランキング首位も獲得しながら、『マッドマックス:フュリオサ』が大ヒット上映中。
ここで改めて、熱冷めやらぬうちに『マッドマックス:フュリオサ』の魅力を語り合っておきたい!そしてまだ映画館で観ていない方にはぜひこの機会を逃さず映画館で体験していただきたい!ということで今回は、ゲストのアナイス氏(映画ライター)と、tvgrooveのエディターであるヨダセア(海外エンタメ系ライター)が『マッドマックス:フュリオサ』について語り合った。
前作『怒りのデス・ロード』との比較や、今作公開までの期待や不安、ジョージ・ミラー監督のこだわりやパワー、アニャ・テイラー=ジョイの演技について語った対談前半に続き、今回は後半の記事となる。
映画ライター対談『マッドマックス:フュリオサ』(後半)
【予告編】『マッドマックス:フュリオサ』大ヒット上映中
壊れた世界でも理性を保つことの重要性
A:『マッドマックス』シリーズは「狂気に囲まれている中で、自分がどう狂わないようにするか」というテーマが根本にあって、観ているだけで「理性的な人間はどんな時代にも必要だ」と感じさせられます。
Y:全員が狂ったらもう終わりですからね。
A:本当にわかりやすいテーマですよね。特に本作ではディメンタスというヴィランを通じて「こういう人間が物や人、環境をダメにする」ってことをわかりやすく描いている。彼って「ああいう人いるな」ってくらい現実にもいます。
Y:ディメンタスはフュリオサと自分を重ねますが、ふたりの違いは「理性的かどうか」ですよね。ディメンタスは狂気と共に開き直ってしまっている。たしかにフュリオサも同じように怒りや悲しみを抱えていますが、その後も理性的に振る舞っているという点が違います。この共通点と相違点がしっかり描かれていますよね。
司会:そうですね。ディメンタスは髪の色も変わったりして、その時々でキャラクター性が変わります。最初は優しそうな指導者として振る舞いながらも途中で横柄になったり、最後には責任を押し付けて逃げる姿勢など、本当に現実にもいそうなキャラクターでした。
A:「こんな上司いるな〜」とか思う観客もいるかもしれませんね(笑)。クリス・ヘムズワースもあそこまでよく演じ切ったなと思いました。ディメンタスはバカっぽいけど、相手の “気づかれると嫌な部分”をわかっているし、そこを突いてくる狡猾さはあって、なんだかすごく人間らしいんですよね。
クリス・ヘムズワースの“闇堕ち”演技について
A:ディメンタス自身も子供を失っていて、もとは理性的だったかもしれないけど、狂気の中で狂わざるを得なくなった“マジメさん”だったのかもしれない。色々考えさせられました。
想像力って大事で、本来は同じ痛みを知っているなら、他人にもその痛みを与えるべきではないんです。それでも他者に同じことをしてしまうっていう人間の業も非常にリアルでした。
Y:クリス・ヘムズワースは、過去を想像させる演技が本当に素晴らしかったと思います。『マッドマックス:ディメンタス』という映画を新たに作ってもいいくらい、ディメンタスというキャラクターについてはまだまだ描かれていない部分がありますが、言葉や演技から「この人には何か過去があるんだな」と感じさせるものがありました。
ただのイタい独裁者ではなく、カリスマ性や過去の背景など、彼の人生を色々と想像させる要素があります。個性的なディメンタスの部下たちそれぞれにも過去や背景があるんじゃないかなと思わせますよね。
Y:クリス・ヘムズワースの闇堕ちの演技って、マーベルでのソー役も影響していると思うんです。家族や仲間を失って、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で“ぽっちゃりの酒浸り”になるまで落ち込んだソー。その闇墜ちの演技経験から出せるようになったのがディメンタスの哀愁なのかな、と思います。
A:そうですね。彼のキャリアにとっても転換点となる役柄でしたし、それまで積み重ねてきたものを大事にしながら新しい自分も見せてくれた感じが嬉しかったですね。
A:他のキャラクターにおいても「もとは普通だった人」が本当は多いのでしょう。その喪失からどう行動するかによってフュリオサやマックスのようになる人もいればディメンタスになる人もいる。その枝分かれしたドラマ性、人間性をとっている作品として印象的でした。
Y:想像が広がりますよね。めちゃくちゃ荒れた世界になったら、多分こうなるだろうなっていうリアリティがあります。今ここで本当に大爆発が起きて、法律も何もない、腕力と武器だけがものをいう世界になったら、きっとこうなっていくんだろうなと想像がつきます。我々が生きる現代とは全然違う世界だけど、それでもちゃんと現実味がある。このリアリティがいいですよね。
ドラマとしての『フュリオサ』の魅力-“動きの演技”
司会:個人的に、クライマックスの「40日戦争」の部分はもう少し楽しみたいと思いつつ…フュリオサの物語だからフォーカスしなかったんだと納得しました。でも、私たちの今生きる地球でも戦争や差別など繰り返されていて、争いはなくならないんだなとも感じました。
『FR』ではあまりそういう考えには至らず、「アクション最高!」「ギターマン最高!」みたいに思ってましたけど、『フュリオサ』を見ると自分たちを顧みることになります。愚かだなと思ったり、ドラマ性がすごくあると思います。
A:確かに『FR』はアクションシーンのインパクトが強かったから、それが好きだった方は本作を物足りないと感じるかもしれない。でも、例えばフュリオサとジャックが初めて顔を合わせるアクションシーンはミニマムでタイトだけど、一つ一つの動きに意味があります。
映画前半からフュリオサというキャラクターを追っている身としては、彼女の動きそのものに感情が込められているのがわかって、アクションシーン自体がもっとエモーショナルなんですよね。それは今回の映画の魅力として伝えたい部分です。
司会:監督も車両の変化でキャラクターの成長や変化を描いていると言っていました。ディメンタスはチャリオットから始まり、大型車両へと乗り換えていくことで肥大化する自尊心や尊大な態度を表現しています。一方でフュリオサは「ウォータンク」から「クランキーブラック」へと乗り換え、復讐心を象徴しています。このようにアクションにもドラマがありますよね。
A:そうですね。急襲に巻き込まれて逃走用のポテトやバイクが落ちちゃって「最悪じゃん」って思ってそうな感じとか、他のメカニックが落ちそうになった時にショートパイプを持たされて、「私が頑張るしかないわ」って感情が伝わるんです。でも結局のところ、フュリオサは母親に対してもそうだったように誰のことも見捨てないんですよね。そんな彼女の正義感が動きにしっかりと表れていることは、映像的な説明を大切にしていた前作から続く良さだと思います。
Y:確かに、車両アクションのシーンでは喋らなくても考えていることがわかる“動きの演技”がありました。他のキャラクターたちは「やるかやられるか」、「どこでカッコよく死ぬか」を考えた単純な動きをして攻撃したり防御したりしていますけど、フュリオサはそもそも「いつ言葉を発するか」という葛藤もあります。「ボミーノッカー」を使うよう指示した時など、その瞬間まで無言で通すべきかどうか悩んでいるはずなんですよね。ジャックが「メカニックいるか?」と聞いても答えないし(笑)
A:「誰か答えてあげてよ」ってなりますよね(笑)
Y:戦いながらも葛藤し、決断し、覚悟するフュリオサ、その表情や動きに集約された演技こそアクションシーンにもドラマ性を持たせていました。
髪の毛によるストーリーテリング
A:私が本作のドラマ性においてすごく気に入ったのは「髪の毛」の演出です。元々『FR』でのフュリオサはバズカットでしたよね。しかしもちろん昔は髪が長かったわけで、どのタイミングで短くなったのかに意味を感じるんです。子供時代と大人になってから2回、彼女は自分で髪を切っている。最初はリクタスに触れられた時、性の対象として見られた危機感によって自分自身を守るために髪を切ったのだと思います。
歳を重ねるにつれて(脱走計画の実行日に近づくにつれて)バズカットを保たせずに髪を伸ばしていたのも印象的でしたが、ジャックに出会う前は髪も女性であることも隠していたんですよね。しかし、ジャックの相棒になってからリクタスやイモータン・ジョーの前でも堂々とロングヘアーで登場している。これってジャックの前では女性でいることに安心できる気持ちがあったことを表しているんだと感じました。この変化は非常に重要です。
しかしジャックを失った後には再び髪を切ります。一貫して「異性の眼差しの中での女性性」を表すかのような「髪の毛」を使ったエモーショナルな表現がすごかったです。他にもそういった細かい部分一つ一つにドラマがある気がして、改めて何度観ても楽しめる作品だと思いました。
未来を見続けているフュリオサの人物像
Y:フュリオサの決意や人柄を感じるところも多いですよね。先ほどの理性で動き続けるか感情で開き直るかという話にもつながりますが、ディメンタスからは「もう全て失った。好き放題やって、死ぬなら死ぬでいい」みたいな開き直りを感じる一方で、フュリオサは最後まで「私たちではなく、未来につなぐ」と未来を見続けているんですよね。
どんな状況になっても開き直ったり狂ったりせず、ディメンタスには制裁を加えながらも、木の実は、希望は、未来に繋いでいく。そうしてフュリオサの人物像を最初から最後まで真摯に描いています。それがしっかり『FR』にもつながっていて。本当に“フュリオサのドラマ”として完成していると思いました。
A:最後めちゃくちゃ良かったですよね。
利己的なディメンタス、利他的なフュリオサ
A:今回、「フュリオサを誰が所有するか」というレース的な要素もありました。『マッドマックス』シリーズ全体として、人間解放や主従関係からの自由への活動というテーマがありますが、今回は特に女性への支配というテーマが強調されていました。絵画や映像表現などにもフェミニスト的な文脈や女性的な視点(フィメールゲイズ)が感じられる部分がありながら、やはりそこには男性視点(メールゲイズ)も存在している。特にディメンタスの人間に対する所有欲は非常に強く描かれていましたね。
ディメンタスは劇中に「自分は太陽の光や変態から彼女たちを守ってきた」と言い張りますが、彼も彼女を欲しがってきたやつとそんなに変わらない。「結局お前もクズのひとりじゃないか」って。それこそ子どもには優しい、みたいな視点を持たせることもできたと思うんです。しかし彼とフュリオサの物語をストックホルム症候群的な美談にせず、「最悪だからな」ってぶった斬った。支配というものがどれほど醜悪かということを描ききった点が良かったです。
フュリオサはずっと種を持ち続けていました。それは男性キャラクターたちが種(子孫)を相手の意思に関係なく植え付ける利己的な行為とは対照的です。フュリオサの種植え行為は環境や世界全体への貢献という利他的なものであって、その違いが映画の中で重要なメッセージとして描かれていたと思います。
人間味もある救世主・フュリオサ
Y:常に人のために生きるフュリオサは救世主のような存在ですが、自分の復讐心もしっかり持っています。キリストのように自分を排してなんでもかんでも与えるわけではなく、人間的でもあるんですよね。人間味のある救世主として描かれているところが好きです。
Y:これまでもマッドマックスシリーズでは未来につなげられる人々が活躍してきました。一方で悪者たちはその場しか見ていないんですよね。
A:だからダメになるんです。
Y:自分のためだけに奪ったものは、同じようなやつに奪われる運命にある。でもフュリオサは自分のためだけには奪わないし、何かリソースがあればそれをどう人々や世界に生かすか考えている。それが彼女の救世主的な側面です。
Y:マックスとはまた違いますよね。マックスは基本的には自分のために動いているけど、ドライビングスキルがあったりする結果として人助けになることが多い。一方でフュリオサは最初から人々や世界のために尽くす姿勢があります。
『FR』でもマックス視点では最初フュリオサは凶暴で怖い人かなという印象もありましたが、実際にはワイブスを助けようとしていたわけで、最初からずっと人々のために動いていたんですよね。子ども時代から危険な状況で自分で動いて人々を守ろうとしていました。その結果誘拐されてしまったりもしますが、本当に小さい頃からコミュニティや人々のために動く人物だったんだと感じます。
A:それはお母さんがそうだったからでしょうね。お母さんの背中を見て強く育ったんだと思います。
フュリオサは人々にとっての希望の光
A:マックスはたぶん(妻子を失ってから)死に場所を探してうろついているだけに見えますが、フュリオサは逆に生きようとしている。この違いがコントラストになっていると感じました。フュリオサには母との「どんなに時間がかかっても帰ってくる」という約束があるから、それだけで生き続けよう、生き続けなければならないという強い意志を持っているんですよね。マックスと比べて彼女の目の中にある光が違うなと思う。
マックスはシリーズの主人公なのに一番地味というか、「もうどのタイミングで死んでもいい」くらいに思っていそうで、この世に未練がないから『FR』で感情が比較的に排除されて描かれています。だからこそ他のキャラクターたちの思惑がもっと浮き彫りになって、彼らによって牽引されていく感じですよね。
Y:『FR』ではフュリオサに引っ張られて未来を見るようになった部分もある気がしますね。
A:確かに、マックス自身もフュリオサと出会ったことで新しい考え方や光を得たと思います。その辺りは『フュリオサ』を通して改めて感じました。
司会:ジャック役のトム・バークさんもインタビューで語っていました。彼は親も軍人で、自分もその環境で生きてきたから、自分の居場所は車や武器しかないと感じていた。でもフュリオサと出会って彼女の望みを叶えたいと思うようになった。その求心力こそフィリオサの魅力だと思います。
Y:フュリオサのように目的や希望を持って全力で動ける人の輝きって本当にすごい引力がありますよね。それこそ今のジャックのような感覚を抱えている人、現代社会でも多いと思います。「何のために頑張っているんだっけ?」とか、分からなくなることがありますよね。
特に目的がなくてもお金を稼ぐためとか家族を養うためとか、とりあえず何かしら頑張らなければならない。でもその頑張りが何のためなのか見失うことがあります。でもそういう時に目的や未来を見据えて希望のため、人々のために動いている人を見た時のインパクトってすごい。その輝きに引っ張られるんですよね。フュリオサはまさにそういう人物です。
A:荒れ地で夢を持ち続けること、それが大事なんですよね。本当に帰りたいという強い意志、それが彼女にはありました。結局『FR』のラストで故郷は失ってしまったけれど、イモータン・ジョーなき砦で新たな使命を見つけるラストは良かった。
Y:あの先も展開も観たいですよね。
A:本当に観たい!
A:そういう彼女の良さってちゃんと全部お母さん(メリー・ジャバサ)由来なんですよね。さらわれたフュリオサを奪還しにアジトに忍び込んだ時、悪者たちはフュリオサの持つ果物に夢中になるも種には関心を抱かなかった。しかしお母さんはその場から逃げる際に忘れず種を取った。それを植える意識があったから。そういう夢や希望を持ち続けること、何かを失ってもが光を見続けることの大切さを痛感させられました。改めて自分たちを身をつまされるというか。
司会:私たちもついつい目先のことだけで生きてしまいますが、一つ軸となる目標や夢を持ち続けること、それがどれだけ大切か改めて感じさせられます。
A:確かに噛み砕いて考えると、『フュリオサ』で描かれていることって実際には割と身近な話でもあるんですよね。あんなにエピックに描いているけど、そういう意味では普遍的じゃないですか。だから誰もが共感できる作品になっているのだと思うし、それがどれだけクレイジーな世界観でも愛される理由だと思います。
『マッドマックス:フュリオサ』を大画面で観る意味
司会:『マッドマックス』シリーズは映画館で観てこそ、その体験込みで衝撃や思い出になると思います。近年は配信サービスの台頭で自宅で鑑賞される方も多いと思いますが、『フュリオサ』は特にラージフォーマット(アイマックス、ドルビーシネマ、4DX)で観る価値があります。本作は、ラージフォーマットでの興行シェアが約30%を占めるなど、他の作品よりも多く特別な環境で観たい!と思う観客が多いようです。『フュリオサ』を劇場で観るべき理由や魅力を改めてお話いただけますか。
Y:個人的には配信まで待っていいわけがない作品です!この映画は大画面でこそ本当の価値があると思っています。あのクリストファー・ノーラン監督もIMAX上映にこだわっていますが、この映画も「映画館で観てこそ完成する映画」だと思います。映画館で観ずにはこの映画を評価しにくいと思うくらい。暗闇の中の大画面・大音響で集中して観るかどうかで大きく変わってくる作品のひとつだと思います。前の方の席で巨大なスクリーンを見上げながら、フュリオサに見下ろされた時の迫力はテレビでは絶対味わえません。あの体験こそ映画館ならではです。
A:この映画は特にそう感じます。どんな映画も、監督などの制作者が設計した通りのものを感じるためには映画館という場所が鑑賞の上で最適です。それって当たり前なことだけど忘れがちですよね。しかし配信サービスなど気軽にどこでも映画が観られる環境になった今だからこそ、改めて制作者の意図を意識して楽しむことも大切だと思います。
A:とはいえIMAXなどは高額だし通常のチケット料金も高騰するばかりで、経済状況によって誰もが頻繁に映画館に行ける時代ではない。よりシビアに作品を選ぶ状況にあると思います。ただ、そんな中で『フュリオサ』はお金を払ってでも劇場で観る価値があると思います!この映像と迫力は大画面だからこそ伝わるもの。臆することなく行ってほしいし、そこでエンジンを吹かすことが日常生活へのエネルギーになると思います。
A:現実から逃避し、感動やパワーを映画から得ること。それこそ映画館ならではの体験であり、その熱量は日常生活にも影響するでしょう。公開期間も有限なので、スクリーンで観られる機会を逃さないでほしいです。作品の中には「これは劇場で観るべきだった」と後悔するものもあります。これから夏休み映画、サマーブロックバスターなどの作品が控えている中、『フュリオサ』もいつまでラージフォーマットで観られるかわかりませんよ!
Y:エンタメも選挙と同じで、1人の力は小さくても、大勢が「いいや」となると全然ダメになるし、逆に1人1人が積極的に動いたら爆大な影響力をもたらします。推しに還元することで、また新たな「マッドマックス」映画が撮られるかもしれませんしね!
A:第1作目からアメリカでそこまで大人気とは言えなかった『マッドマックス』シリーズですが、特に『FR』は日本のファンによって人気が育ったように感じています。それを誇りに思っていいと思うんです。「自分が何かをしても変わらない」なんてことはありません。ちゃんと変わります!作品に、スタッフに、映画館に還元しながら。最終的にはその映画体験が、自分の日常に良い影響を与えるはず。
『マッドマックス:フュリオサ』は大ヒット上映中。なるべく大きな画面で、その大迫力を“体験”していただきたい。
作品情報
監督:ジョージ・ミラー
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース
配給:ワーナー・ブラザース映画
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ゲスト情報
アナイス
フリーランスの映画ライター。映画評やレビューを中心にドラマ、アニメなどのカルチャーコラムを手がけ、インタビュアーとしても活躍する。ベルギーと日本のナードなミックス。