市川團子は大学に通いながら歌舞伎役者としても活躍
続いて、市川團子さんの歌舞伎役者としての活躍を紹介します。小学校から大学まで青山学院でしっかり勉学に励まれている市川團子さんですが、歌舞伎役者としても華々しい活躍をされていました。
5~6歳ころからお稽古を始めていた?
正確には公表されていませんが、市川團子さんは歌舞伎を5歳~6歳頃から始めたと言われています。香川照之さんは2006年公開の映画『出口のない海』で主演の市川團十郎さんと共演した時、市川團子さんの歌舞伎入りについて相談したようです。
その話を聞いた市川團十郎さんが市川翠扇さんに踊りを学べるよう手配してくれたとのことなので、市川團子さんが2歳の時にはすでに歌舞伎役者になれる環境が整っていました。
歌舞伎界では幼少期から自然と歌舞伎に親しみを持たせ、子供が嫌がらないようゆっくり段階を踏んでいくようなので、5~6歳から始めたのではないかと言われているのです。
8歳のとき「ヤマトタケル」で初舞台
市川團子さんの初舞台は、2012年の「ヤマトタエケル」です。当時8歳の市川團子さんでしたが、当時を振り返り「そんなに緊張はしなかった」「幕が開くと空気が涼しくて、自然と気持ちが切り替わるイメージでした」と明かしています。
8歳の男の子が、大勢の前で堂々としたパフォーマンスをするのも、気持ちを切り替えることもかなり難しいことなので、当時から市川團子さんは歌舞伎役者の才能が備わっていたのでしょう。
19歳で市川猿之助の代役を務め大絶賛!
かねてから憧れていた市川猿之助さんが2023年に病院に運ばれた際には、急遽市川團子さんが『不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―』の平知盛役を代役で演じました。
かなり急な話だったため、稽古はわずか1日でしたが観客全員も魅了し、幕が下りた後も10分間スタンディングオベーションが続いたようです。
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