アカデミー賞授賞式において、人種差別に見える俳優たちの行動があったとの声が続出。

現地時間3月10日、第96回アカデミー賞の授賞式が開催。記念すべき受賞が多くあり、今年も会場は喜びのムードに包まれた。一方で、人種差別があったとする声も上がっている。それは真実なのか。いったい何があったのか。

この記事について、3月13日に筆者より追加で声明を発表しました。掲載した記事を削除するべきではないため、このまま残しておりますが、ぜひこのX投稿も同時にご確認いただけますと幸いです。

ロバート・ダウニー・Jr、キー・ホイ・クァンを無視?

まず、『オッペンハイマー』で助演男優賞を受賞したロバート・ダウニー・Jr

彼の名を発表し、トロフィーを手渡したのは、前回2023年に『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で同賞を受賞したキー・ホイ・クァンだ。しかし、上記投稿の動画を観るとたしかに、クァンが嬉しそうに近づいていく一方で、ダウニーは素っ気なくトロフィーを片手で受け取り、クァンと目すら合わせていないように見える。

この振る舞いにはソーシャルメディア上で国内外から批判が。「なぜ彼はあんな風にキー・ホイ・クァンを無視したんだ」などの声が上がっている。

しかし、“別のシーンで撮影されたショットを見てみると仲良さそうにしている(から人種差別的意図はないだろう)”という意見も多い。

果たしてダウニーは差別的な意図をもってクァンを壇上で無視しただろうか。もしかしたら、スピーチへの緊張や受賞の喜びで頭がいっぱいであった可能性もあるかもしれない。たしかに無礼と言われてもおかしくはない振る舞いであることは間違いないが、“人種差別”であったかは本人のみぞ知るところだろう(※)。

※追記:「『この態度の理由が人種差別である』と断定することはできない」という状態を事実として述べましたが、「人種差別的だ」という批判が一定数生じることは想像に容易いシチュエーションであること、そもそも「差別的かどうかにかかわらず無礼な態度であること」は後述のとおりです。(3月11日 23:00追記)

エマ・ストーン&ジェニファー・ローレンス、ミシェル・ヨーをないがしろに?

もうひとつ言われているのが、エマ・ストーンが主演女優賞を受賞したシーンだ。ほかの男優賞・女優賞からもわかるとおり、トロフィーは前回の受賞者から今回の受賞者に手渡されている。こちらも『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で同賞を受賞したミシェル・ヨーがトロフィーを持ち、ストーンに手渡す流れだった。

しかし、上記投稿の動画を観てみると少し奇妙なことが起きている。見ようによっては、“エマ・ストーンがミシェル・ヨーに軽い会釈をしながらトロフィーをジェニファー・ローレンスのもとまで引きずっていき、ローレンスが改めて受け渡すような仕草をした”という行動に見えるのだ。

ローレンスの後方では同じく登壇していたサリー・フィールドが「やめておきなさい」とでも言うかのようにローレンスを引っ張っており、それもローレンスが強引な行動に出たように見えることに拍車をかけている。

エマ・ストーンとジェニファー・ローレンスは親密な友情関係にあることは有名。そのため、ヨーをないがしろにしたかったわけではなく、“ただストーンとローレンスで受け渡しがしたかった”のかもしれない。ソーシャルメディアでも「ミシェル・ヨーがジェニファー・ローレンスにオスカー像を譲り、エマに渡せるようにしている(泣)」と感動的な解釈をしている声も見かける。

とはいえ、フィールドも止めているように、ここでそれを強行することは本来の手順に逆らっているはずで、批判が生まれてしまうのも理解はできる。


追記:ミシェル・ヨーがコメント(3月11日)


人種差別があったかはわからないが、“失礼”なことは確か。

ふたつのケースに共通して言えることは、「人種差別かはわからない」。そして「無礼な態度ではある」ということだ。

ロバート・ダウニー・Jrは緊張していただけかもしれないし、エマ・ストーンとジェニファー・ローレンスは“仲良しすぎた”だけかもしれない。しかし、「他の受賞者がトロフィー授与者からしっかりトロフィーを受け取り、授与者と握手やハグを交わしてから他の登壇者と向き合っている」という事実がある以上、それを無視して授与者をないがしろにしたように見える振る舞いをすれば、批判が生まれてしまうのも想像しやすい。

もし本当に人種差別的な意図があるのであればもちろん是正されるべきであるし、そうでなくとも、このような批判の声が生まれるという結果を受けて、次回以降のトロフィー授与で受賞者が適切な振る舞いを意識してくれることを願う。

しかし、逆に、これを単に「無礼」「失礼」と批判するのではなく、ここだけ切り取って「人種差別だ」と断言してしまうのも短絡的なようにも思える。批判は見えたことに対して行い、憶測で罵倒することは避けたいところだ。