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「親の応援」ほど子どもにとって嬉しいものはなかなかない。そして「親の期待」ほど子どもにとって重たいものはなかなかない。実在のプロレスラー兄弟に起きたドラマを描くザック・エフロン主演×A24最新作、4月5日(金)公開の『アイアンクロー』は、そんな親子ならではの苦しみを描いた重厚な1作だ。
『アイアンクロー』レビュー
【予告編】『アイアンクロー』
『アイアンクロー』あらすじ
1980年初頭、プロレス界に歴史を刻んだ“鉄の爪”フォン・エリック一家。父フリッツ(ホルト・マッキャラニー)は元AWA世界ヘビー級王者。そんな父親に育てられた息子の次男ケビン(ザック・エフロン)、三男デビッド(ハリス・ディキンソン)、四男ケリー(ジェレミー・アレン・ホワイト)、五男マイク(スタンリー・シモンズ)ら兄弟は、父の教えに従いレスラーとしてデビュー、“プロレス界の頂点”を目指す。デビッドが世界ヘビー級王座戦へ指名を受けた直後、日本でのプロレスツアー中に急死する。さらにフォン・エリック家はここから悲劇に見舞われる。すでに幼い頃に長男ジャックJr.を亡くしており、いつしか「呪われた一家」と呼ばれるようになったその真実と、ケビンの数奇な運命とは――
『アイアンクロー』レビュー
ザック・エフロンの新境地
今作の主演はザック・エフロン。彼が「ハイスクール・ミュージカル」のキラキラした好青年のイメージから離れた役も多数こなすようになったのはここ最近の話ではない。ダンディにヒゲを生やしてみたり、連続殺人鬼(テッド・バンディ)の役をこなしたりしながら役の幅を増やしながら、プライベートでもトレーニングを続けた彼の肉体はどんどん筋肉質になっていった。
しかし今回彼が挑んだは“実在のプロレスラー”の役。その役作りには、“マッチョ俳優”の域を超えた努力を要したことだろう。並大抵の鍛錬ではたどり着けないであろうことがよくわかるまさに“バキバキ”に仕上がった肉体を一目見ただけで、エフロンの“本気”が伝わってきた。
そして、仕上がっていたのは肉体だけではない。加えて演技の面でも、観客にその苦悩をリアルに訴えかけてくる。兄弟の一番上(長男は幼少期に他界)という立場ならではのプレッシャーに押しつぶされ、プライドもズタズタに引き裂かれ、度重なる悲劇に感情を失っていくケビン。あえて“感情爆発”などはせず、ひたすら“抱え込む”苦しみ。その苦痛はエフロンの演技を通して観客の心にも深く突き刺さる。
見ていて痛い!? プロレスシーンの大迫力
筆者はプロレスファンではなく、何度かテレビをつけてそのまま眺めたりしたくらいのプロレス鑑賞歴であるため、今作の描写を偉そうに「リアル」などとジャッジはできない。しかし、素人目に見て、今作のプロレスシーンはかなり“本物”に感じられた。
倒れた相手に向かってネット上から食らわせる勢いのついたダイブ。殴り倒されたり、投げ飛ばされたりした際の、息が詰まるような衝撃。耐えて“エンタメ”を演じなければならないのに、耐えられないほどの痛みが走る。正直、見ていて演技と思えず、身体が痛くなってくるような感覚にさえさせられた。
ザック・エフロンだけでなく、ジェレミー・アレン・ホワイト(一流シェフのファミリー・レストラン)ら他の兄弟の演技や肉体作りもそれぞれが今作の説得力に一役かっている。
食い込む“父親の野心”という爪
今作のタイトル「アイアンクロー(鉄の爪)」とは兄弟の父フリッツ・フォン・エリックの必殺技の名前。相手の頭を強力な握力で鷲掴みにして苦しませる強力な技だ。しかし、この映画のタイトルが指す「鉄の爪」は、単に技の名前ではないだろう。
切っても切り離せない「家族の縁」、なかなか裏切りたいとは思えない「親の期待」。自身に叶えられなかった野心を子どもたちに実現させようとしてくる、フリッツの身勝手な野心こそが家族に架けられた「呪い」であり、“死ぬまで鷲掴みにしてくる鉄の爪”なのだ。
劇中、子どもたちが父の技「アイアンクロー」を繰り出すことで観客席・実況席は「伝家の宝刀だ!」というように沸き立つ。しかしそこに狂気と恐怖を覚える。戦っているのは彼らひとりひとりなのに、いまだに個人としての存在を認められず、「フォン・エリック家」に縛られた父フリッツの操り人形にすぎない人生であることの表れにしか思えなかった。
「世襲」のプレッシャーが描かれたことに価値あり
このような過酷な人生を経験した兄弟には深く同情させられる。そして、実際に今でもスポーツ界、伝統芸能界、クラシック音楽界などを中心に、親を継がされて努力に励むしかない人々は多い。その中にはもちろん日々の中でその分野を愛し、情熱を持って取り組んでいる人々もいるとは思うが、中には「プレッシャー」でそうせざるを得なくなっている人もいるのではないか。
こういった題材の映画が撮られたことで、「世襲」のプレッシャーが世間に大きく認知されるのであれば、そこにも大きな価値があるだろう。