【ぼくたちの離婚 Vol.24 上級国民の余裕】
書籍化・コミック化も果たした人気ルポ連載「ぼくたちの離婚」。これまであまり語られてこなかった「男性側の視点から見た離婚」をライターの稲田豊史さんが取材しました。
※以下、稲田さんの寄稿。
夫婦共働きでそれぞれに高収入な「パワーカップル」がここ10年ほどのあいだで増加傾向にあるという(ニッセイ研究所の調査より)。今回話を聞いた東京のTV局に勤める遠山英介さん(仮名/45歳)も、世帯年収2000万超えのパワーカップルだった。「経済的余裕は精神的余裕をもたらす」を信じる遠山さん。なぜ、遠山さん夫婦は離婚に至ってしまったのか。
◆「超ハイスペ女性」と結婚
遠山さんが4つ歳下の奈津さん(仮名)と結婚したのは、2011年のこと。当時、遠山さんは34歳、奈津さんは30歳。交際3年、同棲を経ての結婚だった。
取材場所に指定された都内のビストロにやってきた遠山さんは、45歳とは思えないほど若々しい見た目。若作りというよりは、本当に若い。髪は黒々としたツーブロック、体型はスレンダーで贅肉のかけらもない。服も垢抜けている。30歳だと言っても通りそうだ。
遠山さんいわく、奈津さんは超ハイスペ女性だった。
「奈津は某大学の某学部卒なんですが、そこは国内有数の入試難易度が高い学部です。卒業後は某大企業の総合職に就き、その功績から社内で何度も表彰されていました。知識が豊富というだけでなく、とにかく地頭がいい」
遠山さんは遠山さんで、カルチャー全般にわたりオールレンジで博識だ(離婚話に入る前の1時間ほどの雑談で、それがよくわかった)。新しいものに対するアンテナ感度、良い意味でのミーハー気質、留まるところを知らない知的好奇心が、まるで思春期の若者のように瑞々しい。TVマンらしく弁が立ち、言葉数も多い。その遠山さんが言う。
「昔から、頭がいい人のことを単純に素敵だなと思うんです。奈津はその上で話も合うし、会話が刺激的でスリリング。僕の知らないことをたくさん教えてくれました。業界は違うけど共通言語が多かったので、仕事の話もしやすかったです」
なのに、なぜ離婚してしまったのか。
「頭が良すぎたんです」
◆まるで部下に指導する上司
奈津さんは遠山さんが「覚えていない」ことに異常に腹を立てる人だった。
「何年も前にふたりで行った旅行の話になったとき、往路のサービスエリアで何を食べたかを僕が覚えていないだけで、奈津は超キレました。なんで覚えてないのよって責め立てるんです。そんな昔のこと覚えてないって言うと、『じゃあ、メモしてよ』って」
当の奈津さんは、驚異的な記憶力の持ち主だった。異業種交流会で一度名刺交換しただけの人と数年ぶりに再会しても、顔を一瞥しただけで会社名と名前がさっと出てくる。一度だけ読んだ小説のセリフや一度だけ観た映画のワンシーンも正確に暗唱できる。当然ながら、遠山さんの過去の発言も一言一句正確無比に記憶していた。
「ほとんど『レインマン』のダスティン・ホフマンです。彼女のそういう部分は素直にすごいと思うんですけど、自分と同じレベルの記憶力を僕にも求めてくるのは、本当に勘弁してほしかった」
遠山さんに対して「もっと考えて」と言うのが、奈津さんの口癖だった。
「ふたりで決めることってあるじゃないですか。どの家具を買おうとか、夏休みにどこへ行こうとか、クリスマスにレストランはどこを予約しようとか。こういうのは独断で決めるものじゃないから、僕はまず奈津におうかがいを立てるんですけど、それで毎回怒る。『なぜあなたは自分で考えないの?』って。まず自分で具体的なプランを策定したうえで意見を仰ぎなさい、と」
まるで部下に対する上司の指導だ。
◆エスパー並みの「察し力」
「彼女の機嫌が悪いときに『どうしたの?』って聞くと、それも怒られます。『もっと人の気持ちを想像して』と。それがわからないから言葉で言ってほしいんだと言うと、『もっと察して』『私を探って』。いやいや、ブルース・リーの“Don't Think. Feel!(考えるな、感じろ)”じゃないんだから(笑)」
奈津さんは、そう言うだけあって「察し力」もすごかった。遠山さんが直接的に口に出さないモヤモヤした気分も、仕草や言葉尻といった最小のヒントで全部言い当ててくる。
「女性は男性に比べてそういう能力に長けていると聞いたことがありますが、長けてるなんてもんじゃない。ほとんどエスパーです」
奈津さんは、自分と同じだけの「察し力」を遠山さんにも求めた。
「『なんで私が悪夢にうなされるのか、考えて』と言われたことがあります。私がいま抱えているストレスはあなたのせいだ、とでも言いたかったんでしょうが、それにしてもねえ。僕、(『スター・ウォーズ』の)ジェダイじゃないし(笑)」
◆「このプロジェクトはあなたが責任者だよね?」
奈津さんはまた、遠山さんに高い業務遂行能力を求めてきた。夫婦でアメリカ横断旅行をしたときのこと。
「現地で車を手配して代わりばんこに運転する、3週間ほどの旅でした。その途中、僕が急遽とある街に寄りたくなったので、奈津の了解を得て向かいました。ただ到着したはいいんですが、その日がたまたま街をあげた何かのイベントの開催日で、普通のモーテルでも宿泊費が数百ドルもすることが判明したんです。それで奈津にどうしようか相談しました。おとなしく払うか、他に安いところを探すか、値段交渉するか、今から別の町に移動するか」
しかし奈津さんからは、冷たい返事が返ってきた。
「このプロジェクトはあなたが責任者だよね? だったら、いま直面してる問題はあなたが収束させなさい――と言われました。デートでも旅行でも、なんでもそうなんです。あらゆる事態をシミュレーションして最適化する方法を見つけなさい、と」
◆ふたりで行動したがる妻
遠山さんに手厳しくダメ出しをする奈津さん。そんなに気に入らないなら単独で行動すれば良さそうなものだが、そうはならなかった。
「僕、休日はけっこう出不精で、家で映画なんかをのんびり観ていたいタイプなんですけど、奈津はとにかく出かけたい人。僕は拘束しないから勝手に出かけてくれて構わないよと言うと激怒しました。『それじゃあ二人で暮らしてる意味がないじゃない!』って」
結婚した以上、ふたりで行動したい。しかしそうすればするほど、遠山さんの能力が「水準に達していない」ことに苛立ってしまう。奈津さんはどんどんストレスを溜めていった。
「完璧に最適化された自分の行動パターンが、僕のせいで崩れるのが不快で仕方なかったんだと思います」
◆常人が察知しないノイズを察知する
奈津さんの感情の動きが理解できないこともあった。
「ものすごく色々なことを考えて生きているので、普通の人が気づかない、ちょっとしたノイズもすくい取ってしまうんです。補聴器の感度が高すぎて、遠くのかすかな雑音まで拾ってしまうような。以前、海外旅行先で外食したあと、ふたりで海岸沿いをブラブラ歩いてたんですが、奈津が突然押し黙ったと思ったら突然キレて、僕は平手打ちを喰らいました。いまだにどうして怒ったのかわかりません。僕にはとうてい理解できない複雑な回路が頭の中にあるんでしょう」
そもそも、結婚を申し出たのは奈津さんだったという。だが、そこまで頭が良く考えの回る奈津さんであれば、結婚後の衝突など容易に想像できたのではないか?
「そこは……謎です。僕もなんとなく結婚を承諾して、深くは考えませんでした。いま思えば、すべてが“なあなあ”だった、としか」
結婚から3年後の2014年に離婚。最後の1年間、夫婦の間に会話は一切なかった。
ざっくり言えば、夫婦の性格の不一致。ありふれた離婚事由である。が、遠山さんの話で真に聞くべきなのは、ここからだった。
◆「妻と似た女性」と再婚した理由
遠山さんは離婚の数年後に再婚したが、再婚相手は大手商社勤めのキャリアウーマン。遠山さんいわく「奈津と同じ系統の、超ハイスペ女性」だそうだ。
「僕は常に刺激を求めてるんだと思います。新しい知識、新しい価値観、新しい世界。いつも何かを知りたくて仕方がない。知的でスリリングな会話をしたい。だから、今の妻からも怒られるしキレられますが、僕が欲しいものを得るためには仕方のないトレードオフかなって」
驚くべきチャレンジ精神、驚くべきバイタリティ。見た目だけでなく、心も若い。
「僕、精神的に余裕があるんだと思います。だからチャレンジできる」
なぜ、そんなにも精神的余裕があるのか?
「ある程度は、経済的な余裕から来ていると思います」
遠山さんの年収は、結婚時点で1000数百万円。奈津さんも同じくらいだったので、子供なし、世帯年収2000数百万円のパワーカップルだった。今のパートナーともその水準をキープしているという。経済的余裕がもたらす精神的余裕、金持ちケンカせず。思わず「上級国民……」と言いかけると、遠山さんはすかさず遮った。
「僕程度で上級国民だなんて言われてしまうこの国、ちょっと夢がなさすぎますよね」
◆遠山さんの言葉に滲むもの
店に入って3時間。ワインで舌の滑りが良くなった遠山さんは、雑談がてらこんな話をはじめた。
「僕、いわゆる『せんべろ』、とか、安い飲み屋に行くのが趣味なんですけど、こないだとある街の路地裏にあるモツ煮込み屋で“感動”したんです。隣に若いカップルが座って会話が聞こえてきたんですが……」
好奇心旺盛のキラキラした目で、楽しそうに話す遠山さん。
「男性はもともと自営業だったけどうまくいかなくて、少し前にサラリーマンになったみたいでした。女性が『会社どう?』って聞いたら、男性が自信満々に『ボーナスがあるんだよ!』って答えたんです」
興奮気味に続ける。
「その時に初めて、こんなにも違う世界があるんだって思いました。ボーナスがあるなんて当たり前じゃないですか。なのに『ボーナスがある』ことに感動する人間がこの世に存在するというのが、すごいと思って。これは発見でした」
驚いた。遠山さんに、である。「ボーナスがある」のは今のご時世、決して「当たり前」ではない。
「東京都の年収中央値が、570万とかでしたっけ。正直こっちは世帯年収2000万だから、そういう人たちと接点を持ったり、交流をする機会はまったくない。だからモツ煮込み屋みたいな世界の話って、ほんと新鮮で」
奈津さんが何に怒っていたのか、少しだけわかった気がした。
【ぼくたちの離婚 Vol.24 上級国民の余裕】
<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>
【稲田豊史】
編集者/ライター。1974年生まれ。映画配給会社、出版社を経て2013年よりフリーランス。著書に『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)、『オトメゴコロスタディーズ』(サイゾー)『ぼくたちの離婚』(角川新書)、コミック『ぼくたちの離婚1~2』(漫画:雨群、集英社)(漫画:雨群、集英社)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)がある。【WEB】inadatoyoshi.com 【Twitter】@Yutaka_Kasuga