スポーツ選手にとって身体作りに直結する食事は練習と同じくらい重要で、今や大活躍の大谷翔平選手はプロに頼らずに自炊する徹底ぶりです。そんな大谷翔平選手に料理指導をしたことのあるレジェンド寮母 村野明子さんのごはんは、味はもちろん栄養面も完璧なのです。

今回は、レジェンド寮母 村野明子さんのプロフィールや現在の活動内容について紹介します。レジェンド寮母のレシピ本も掲載しているので、ぜひご覧ください。

レジェンド寮母とは

レジェンド寮母・村野明子の現在の仕事は社長!大谷翔平へ料理指導経験も⁈
(画像=ZENB イニシアティブ、『Sorte plus』より引用)

初めに、レジェンド寮母 村野明子さんのプロフィールや経歴・寮母になったきっかけについて紹介します。村野明子さんは意外な経歴から、寮母を志したようです。

レジェンド寮母・村野明子のプロフィール

レジェンド寮母・村野明子の現在の仕事は社長!大谷翔平へ料理指導経験も⁈
(画像=タウンニュース、『Sorte plus』より引用)
氏名 村野 明子(むらの あきこ)/愛称:あっこさん
生年月日 1967年6月19日(2023年9月時点:58歳)
出身地 東京都
資格 調理師免許・フードコーディネーター
ジャンル スポーツ料理研究家・実業家

美人すぎるレジェンド寮母として注目を集めた村野明子さんは、東京都出身のスポーツ料理研究家です。村野明子さんの寮母飯は、「一食で、栄養フルコース」をコンセプトにしており、五大栄養素を全て取り入れているとのことです。

また、寮母としての料理の腕前はもちろん、美人すぎることも注目されたひとつの理由で、元々ビューティーアドバイザーをされていたことで、美容の知識も豊富なのでしょう。村野明子さんの寮母飯はアスリート界でも定評があり、メジャーリーガーなどの有名プロスポーツ選手への料理栄養指導も行っています。

レジェンド寮母の経歴

レジェンド寮母・村野明子の現在の仕事は社長!大谷翔平へ料理指導経験も⁈
(画像=ZENB イニシアティブ、『Sorte plus』より引用)

高校を卒業した1986年に、村野明子さんは化粧品会社へ販売員として就職しました。1991年には外資系化粧品会社へ転職すると、デパートの化粧品売り場でビューティーアドバイザーとして勤務していたようです。

バリバリ働いていた村野明子さんですが、24歳の頃現在の旦那さんと結婚を機に、専業主婦となりました。子供2人も出産し、料理が大好きということもあり、専業主婦も楽しんでされていたのでしょう。

35歳の頃には旦那さんの転勤のため、北海道に移住し、2003年に「しまふく寮」を開業すると、初代寮母になりました。

そこからはヴィッセル神戸育成センター「三木谷ハウス」・セレッソ大阪の寮母を全うし、2021年12月に寮母を引退されたのです。その後は、会社を設立し、専業主婦時代の定食屋さんを開きたいと言う夢をかなえ、飲食店も開業しました。

寮母になったきっかけは?

レジェンド寮母・村野明子の現在の仕事は社長!大谷翔平へ料理指導経験も⁈
(画像=ZENB イニシアティブ、『Sorte plus』より引用)

レジェンド寮母の異名を持つまでカリスマ的存在になった村野明子さんですが、寮母となったきっかけは旦那さんでした。村野明子さんの旦那さんの村野晋さんが2003年からコンサドーレ札幌の管理部長になり、定期的に自宅に選手10人ほどを招いていたようです。

その時、村野明子さんは手料理を振舞っていたのですが選手たちから好評で、丁度2003年にコンサドーレ札幌の選手寮「しまふく寮」でき、料理上手の村野明子さんが初代寮母に任命されました。

しかし、村野明子さんは料理学校などに行ったことはないため、当時は栄養面など全て独学で試行錯誤料理を作っていたとのことです。最初は大皿に盛りつけて題していた寮母飯も、選手たちが好きなものから食べることに気づき、ワンプレートを発案しました。