平野紫耀の母子家庭での壮絶エピソード
続いて、平野紫耀さんは幼少期に壮絶な体験をしたというエピソードを、バラエティ番組や雑誌のインタビューを通して語っていたことがあります。その内容について詳しくご紹介しましょう。
平野紫耀の壮絶エピソード①3歳の時に両親が離婚
平野紫耀さんの母親は、弟の平野莉玖さんが生まれた頃に離婚してしまったそうです。当時、平野紫耀さんは3歳だったそうですが、お母さんは女手一つで2人の子どもたちを育てるために仕事が非常に忙しかったようで、紫耀さんが莉玖さんの面倒を見ることも度々あったと言います。
平野紫耀の壮絶エピソード②骨折7回
平野紫耀さんは子供の頃はかなりヤンチャだったそうで、幼少期だけで7回の骨折を経験したと語っていました。基本的に危険を顧みずに行動してしまう性格だったようなので、高い岩の上からなんの躊躇もなく飛び降りたり、友達の足を持って振り回すなどのエピソードも暴露していたことがあります。
男の子はヤンチャな子も多いですが、7回も骨折したことがあるというのは、かなり珍しいのではないでしょうか。そのせいか、子供の頃の写真はギブスをはめている姿が多いそうです。
平野紫耀の壮絶エピソード③川崎病にかかる
平野紫耀さんは幼少期に川崎病を患っていたことを公表しています。川崎病とは、4歳以下の乳幼児に発症しやすい病気で、全身の血管に炎症が起きることで、目の充血や発赤疹、首のリンパ節の腫れなどといった様々な症状が発生します。
症状が進行すると手術をすることもあるそうですが、平野さんは手術を受けて治っています。そのため、子供の頃は激しい運動は全て禁止されており、体育の授業でも見学することが多かったようです。現在でもバリバリダンスを踊れるイメージですが、実は激しい動きは控えるよう言われているそうです。
平野紫耀の壮絶エピソード④1円玉を5枚食べた
平野紫耀さんの幼少期のヤンチャっぷりについては先程もご紹介しましたが、落ちているものを食べてしまうという好奇心旺盛な面もあったそうで、貯金箱に貯めてあった1円玉を5円チョコと間違えて食べてしまったというエピソードもあります。
その後、お母さんに発見されて慌てて病院に連れて行ってもらったそうで、レントゲンを撮ると1円玉が5枚ほど写ったそうです。
平野紫耀の壮絶エピソード⑤クリスマスプレゼントはうまい棒
平野紫耀さんは、中学生の時にクリスマスにアクセサリーが欲しくて、サンタさんへ手紙を書いて眠りについたら、翌朝枕元にうまい棒が50本置いてあったというエピソードも語っていました。
平野さんのお母さんはシングルマザーだったため、当時は最低限の生活を送っていたようですが、うまい棒50本が置いてあったら思わず笑ってしまうのではないでしょうか。それでも平野さんは、嬉しそうに受け取ったそうです。
平野紫耀の壮絶エピソード⑥中学でヤンキーデビュー
平野紫耀さんは、中学生の時はかなりのヤンキーだったようで、中学校の卒業式に撮ったと思われる写真には、紫の短ランを着てセンターに座る平野さんの姿がありました。
平野さんは天然である上に、漢字や英語にも弱いという事実はバラエティ番組などを見ていてもわかりますが、やはり中学生時代から勉強は苦手だったそうで少々グレていたようです。
平野紫耀の壮絶エピソード⑦母が脳腫瘍にかかる
平野紫耀さんは、2016年12月頃に「高校を出る時に母の頭に悪性の脳腫瘍が見つかった」とカミングアウトしていました。
脳腫瘍と聞くと非常に深刻そうにも思えますが、平野さんのお母さんは2019年に、再婚相手の方との子供である女の子を出産しているようです。また、2022年には弟の平野莉玖さんが「母親がコスメ開発をしている」という投稿をしていたため、手術を受けて回復したのではないかと予想できます。
更には、平野さんが2021年の「24時間テレビ」に出演した際、乳がんの闘病をする女性のVTRを見た後に「自分の母親も同じ病気を患っていた」と話していたので、平野さんのお母さんは乳がんも経験しているということになります。2度も癌の闘病生活を送るというのは、非常に大変だったでしょう。