90年代から2012年ごろまで活躍していたドイツ出身のF1レーサー、ミハエル・シューマッハが現在どうしているのかを知っている人はほとんどいません。
引退後にスキー事故で大きな障害を負ったのではなどといった憶測が流れたこともあります。そこで今回は、ミハエル・シューマッハの事故後の様子などについて調べてみました。
ミハエル・シューマッハとは
ミハエル・シューマッハという名前を聞いたことがあるけれど、実際にどんな活躍をしていたのかよく知らないという方も多いでしょう。ミハエル・シューマッハはドイツを代表する世界的に有名なF1レーサーでした。ミハエル・シューマッハのプロフィールについてチェックしてみましょう。
ミハエル・シューマッハのプロフィール
ミハエル・シューマッハはドイツ人初のF1ドライバーズチャンピオンで、まるでロボットのように正確なドライビングテクニックから、日本では「ターミネーター」、海外では「サイボーグ」と呼ばれた時期があったほどです。
フェラーリに在籍していた頃は、フジテレビのF1中継では「皇帝」と呼ばれることもしばしばありました。最多優勝91回、チャンピオン獲得7回など、F1では数々の個人記録を更新しています。2006年に一度引退宣言をしたものの、2010年に復帰し現役レーサーとして活躍し、2012年に再度引退しています。
ミハエル・シューマッハの生い立ち
ミハエル・シューマッハは1969年1月3日、ドイツノルトライン・ヴェストファーレン州ケルン近郊のフュルト・ヘルミュールハイムで産声を上げました。4歳のとき、煉瓦職人である父からプレゼントされた、原動機付きペダルカーに夢中になったのが車との出会いです。
ふとしたきっかけでミハエル・シューマッハの父親は、1961年に事故死したF1ドライバー、ヴォルフガング・フォン・トリップスの家族が所有しているカート場の管理を任されるようになります。
やがて母親もカート場内の軽食スタンドで働くようになり、家族の生活はカート場とは切っても切り離せないものとなりました。
そんな環境で育ったミハエル・シューマッハは1983年に国内カートライセンスを取得し、1984年と1985年にはドイツ・ジュニア・カートチャンピオン、1987年にはドイツとヨーロッパのカートチャンピオンに輝いています。
F1ドライバーとして活躍
ミハエル・シューマッハは中学卒業後に自動車販売店に入社し、整備士の資格を取得しています。
そして1988年、ジュニアフォーミュラにステップアップし、フォーミュラ・ケーニッヒとフォーミュラ・フォードに参戦したことが人生の転機となり、ドイツF3選手権に参戦するWTSレーシングのオーナー、ウィリー・ウェーバーに見初められ、マネージメント契約を結ぶまでに至ったのです。
その後、1990年にドイツF3チャンピオンを獲得、マカオGPではミカ・ハッキネンを下して見事優勝を果たし、翌年にはベルギーGPでメルセデスのサポートを受けてジョーダンからスポット参戦し、F1デビューの夢を叶えています。
1994年にはドイツ人初のF1ワールドチャンピオンに輝き、翌年も2年連続でタイトルを獲得するなど、以後、数々の輝かしい成績をおさめています。
2006年に1度現役引退を表明し、アドバイザーとしての活動をスタートさせたものの、2010年にメルセデス・グランプリでF1に現役復帰すると発表し、チームと3年の契約を結びました。
復帰後は引退前のような活躍はできなかったものの、第8戦ヨーロッパGPでは3位を記録するなど、その実力は健在であることをアピールしています。
2012年に契約満了ということで再び引退宣言をし、同年のブラジルグランプリが現役最後のレースとなり7位に入賞しました。