ジム・ハットンとフレディ・マーキュリーの愛の軌跡
ジム・ハットンとフレディ・マーキュリーの二人はどの様な経緯で付き合い、愛し合う親密な関係になったのでしょうか。
ここからは二人の馴れ初めや、日常の様子、最後の別れまでの詳しい詳細をご紹介していきます。フレディが亡くなるまで共にしたジム・ハットンの彼への愛は深く変わる事のない真実の愛だった様です。
愛の軌跡①馴れ初め
ジムとフレディが初めて会ったのはゲイの人々が集まる「ヘブン」というナイトクラブでした。対面を果たした二人でしたが、ジム・ハットンは恋人もおり、ロックに詳しい訳でもなかったのでフレディが有名人である事にも気付かずに興味もなかったそうです。
ですが、一目あってジムに惹かれたフレディは彼に猛アタックをしてアプローチを続けました。最初は気がなかったジムも付き合っていた恋人との破局をきっかけにフレディの好意を受け入れる事にし、二人は晴れて恋人同士へとなったのです。
愛の軌跡②「庭師」として共に過ごした日々
交際を始めた二人はイギリスにあるガーデンロッジの大邸宅で一緒に暮らす事になりました。お揃いの結婚指輪をつけ、夫婦さながらの幸せな生活を送っていた様です。
これを機に美容師の仕事を辞めたジム・ハットンは大邸宅の「庭師」という立場になり、フレディが心休める場所として邸宅を維持していました。
この大邸宅には二人の他に、フレディの付き人であるピーター・フレーストーン、家政婦のジョー・ファネリも同居しており、男性四人で住んでいたそうです。
邸宅に帰ってきたフレディ・マーキュリーを気遣い、ジムは彼の好きな何組を一緒に見たり、マッサージしてあげたりとフレディがくつろぎ、リラックス出来るように配慮していました。
愛の軌跡③フレディがエイズになっても側に居続けたジム
フレディ・マーキュリーがエイズと診断されたのは1987年の事でした。彼はその事実をジム・ハットンに告げ、別れ話を切り出したそうです。
ですが、ジムはそれを断り「馬鹿にしないで、私はずっと君と一緒にいるよ」と言い彼が亡くなる最後まで人生を共にしました。
ジム・ハットン自身も1990年にエイズに感染している事が判明しましたが、約1年以上の間フレディには隠し通したそうです。彼に不安や、罪悪感を感じて欲しくなかったのかもしれません。
愛の軌跡④フレディの最後を看取る
1991年にフレディ・マーキュリーはエイズの合併症である「気管支肺炎」で亡くなりました。その亡くなる数日前にジムはフレディと言葉を交わしていたそうです。
その日フレディは下の階に飾ってある自分の肖像画を見たいと言いました。彼の願いを叶える為、ジムはフレディを抱え絵が飾ってある階まで移動したのです。
そんな彼の行動にフレディは「君はそんなに力持ちだったんだね、知らなかったよ」と言いました。これが二人の最後の会話となったそうです。フレディを失ったジムは後のインタビューで「完全に狂っていた」と語っています。