イラクの首都バグダッドから北方80Kmに位置するサーマッラーは、アッバース朝時代に栄えた古代都市です。カリフによって建設された数々の建築物は個性的かつ美しく、中でもマルウィヤのスパイラル・ミナレットはイラクの象徴です。

考古学都市サーマッラー(世界遺産)

サーマッラーはイラクの首都バグダッドから北へ車で二時間ほどの古代都市です。ティグリス川に面した優雅な古都で、「サーマッラーの考古学都市」として世界遺産に登録されています。西暦842年にアッバース朝の第5代カリフのムウタスィムがサーマッラーを首都とし、世界最大の壮麗な宮殿や巨大なモスクが建造されました。しかし、東西貿易の幹線道路から外れていたことから、たった50年でバグダッドへ遷都されます。これによってサーマッラーの繁栄は失われて、やがて大部分が廃墟となりました。

マルウィヤのスパイラルミナレットとモスク

サーマッラーのグレート・モスクとその横に位置するウマイヤのスパイラル・ミナレットは、アッバース朝の10代目カリフ「ムタワキル」によって西暦852年に完成しました。

このスパイラル・ミナレットはイラクを代表するとても有名なランドマークの一つです。「螺旋」という意味を持つマルウィヤ・ミナレットは高さ53m。このようなスパイラル・ミナレットは世界に3つしか存在しないそうです。

こちら、階段を登ってTOPまで行くことができます。

早速、登ってみます。外側に手すりや柵はありません。外側に手すりがあったら外観の趣がだいぶ変わってしまうかと思いますが、ひとたび突風でも吹いたらポトッと落ちそうです。

頂上からの景色は最高!

古来からの風景そのままなのでは?と思われるノスタルジックな風景です。

隣にあるグレート・モスクは縦240メートル、横160メートルあり、総面積はおよそ38,000平方キロメートル。未だに世界一とされる大モスクは、本体のこの外壁のさらに外側に縦443メートル、横376メートルにもわたるもう1つの外壁が存在したそう。

モスクの壁の表面に土の汚れが付着しているように見え、近づいてみると弾痕でした。米国によるイラク侵攻では、この大モスクとミナレットを米軍が占拠し、ミナレットの尖頭に狙撃兵を置いて監視塔にしていたよう。そして、イラク軍の爆撃により、この尖頭部分は崩れ落ちてしまいました。しかし、国を代表するランドマークのミナレットはすぐに修復されたようです。

入場:20,000ディナール(2023/9現在およそ2,300円)

カリフ宮殿

こちらはアッバース朝時代の西暦836年、ティグリス川左岸に第8代カリフのムウタスィムによって建てられたカリフ宮殿です。推定100万平方メートル以上の広大な地域に広がるアラブ・イスラーム世界において最大級の宮殿だったといわれています。この宮殿の発掘は1910年から行われていますが、4分の3が未だ埋まったままで西側庭園に至っては水没しています。

早速、中へ入ってみたいと思います。宮殿の部屋の壁のほとんどは漆喰。サーサーン朝、ヘレニズム、ウイグルの芸術に影響を受けたアッバース朝独自のデザインのようです。アッバース朝は、特に装飾において独自のスタイルを進化させたので、上述の登ったスパイラル・ミナレットなどもかなり珍しく個性的でしたよね。細長いイーワーンは、どこか上品に感じられます。

このようなデザインや漆喰のモチーフなど、支配下に置く国独自の素敵なデザインを取り入れて新たな装飾を編み出し、改めて広大な領土へ広めるといったことをしていたよう。

この宮殿のメインは、何と言ってもこのプール。イーワーンに囲まれた直径62メートル、深さ2メートルの円形プールに、当時はティグリス川の水が常時流れ込んでいました。このプール(池)の底は、光沢の技法で作られたモザイクやタイルの破片が発見されたようです。それはそれは美しい池だったようで、アッバース朝の詩人アル・ブフトゥリの有名な詩でも唄われています。また、プールの端からティグリス川に至るまで「Kahriz」というシステムによって排水され、工学的な見地からも注目された技術でした。

宮殿はティグリスに沿って700メートルに延びており、広間、管理室、居住用の建物、州庁舎、警備員の兵舎、4つのメインエントランスと8つのサブエントランスがありました。その全てで水の流れは効率的に行われていたのでしょう。

ほかにも、フレスコ画、彫刻、絵画、金メッキ、ステンドグラスで飾られていたそう。この宮殿は街から遠く、当時では珍しい街のジャミィ・モスク(金曜モスク)から離れた場所に建設されました。第8代カリフのムウタスィムが新首都をバグダッドからサーマッラーへ移す際、宮殿に割り当てる広い面積を街の中心部に置くと一般人の住む住居を奪うことになると、それを避けて市場や公営住宅から離れた何もない砂漠に作ったようです。また、この宮殿は当初建設された建物に大きく増設された形跡があり、大規模な拡張も視野に入れていたのかも知れませんね。

入場はフリーです。

ハディ・アスカリ寺院

ここは、第10代イマーム「ハディ」と、第11代イマーム「アスカリ」の霊廟あるアリー・シーアの聖地・巡礼地です。

イスラム教の歴史と背景

寺院のご説明の前に、イスラム教の歴史と背景を少し整理したいと思います。

【スンニとシーア】

イスラム教のスンニやシーアは皆様、聞かれたことがあると思います。これらはイスラム教の派閥です。世界のイスラム教徒は現在およそ20億人といわれており、9:1で圧倒的にスンニが多い。しかし、国ごとに見るとイラクは半分、イランに至ってはほぼシーアです。

【カリフとイマーム】

イスラム教でよく聞く「カリフ」は正統カリフ時代からウマイヤ朝、アッバース朝に続く最高権威の称号で、事実上イスラム帝国の王です。

  • 正統カリフ時代 西暦637-661
  • ウマイヤ朝 西暦661-750
  • アッバース朝 西暦750-1517

一方、「イマーム」は概ねイスラム教の指導者を指します。

イマームは、スンニ派ではカリフおよびウラマー(一般のイスラーム神学者・法学者)のことを指します。一方、シーアでは意味は違い、イスラム教の預言者ムハンマドの子孫から選ばれし最高指導者を指す大変に意味のある特別な高位です。

預言者ムハンマドがイスラム教を布教していた時代、スンニやシーアという派閥はありませんでした。ただ単に「イスラムの教え」があるのみでした。しかし、ムハンマドの死後、次のリーダーを決めるにあたり、実力や能力で選ぶべきとする意見と、預言者ムハンマドの血筋を重視すべきとした意見が出ました。

結局のところ、ムハンマドの死後に正統カリフ時代のカリフ4人は実力で選ばれました。

  • 第一代カリフ:アブー・バクル(632年 - 634年)
  • 第二代カリフ:ウマル(634年 - 644年)
  • 第三代カリフ:ウスマーン(644年 - 656年)
  • 第四代カリフ:アリー(656年 - 661年)

この4人のうち四代目アリーだけはムハンマドの遠い血筋でした。イスラム教創始者ムハンマドの従兄弟であり、娘婿でもあったのです。派閥が決定的になったのは第四代カリフのアリーが暗殺されてからです。

アリーを信奉し、以前から血統を重んじていた人々は「単に信者から選ばれたにすぎないカリフは信仰上で誤ることがある」が、「神アッラーの使徒としてムハンマドの血統を受け継ぐ者は誤ることはない」と、ウマイヤ朝のカリフ制を否定しました。

そして、第四代カリフであったアリーを第一代目イマームとして、アリーの息子たちであり、創始者ムハンマドと血の繋がった孫であるアリーの長男ハサンと次男フサインを第二、第三のイマームに薦します。スンニがカリフによる統治を正しいと見なすのに対し、アリー・シーアはアリーの子孫こそムハンマドの血と意志を引き継ぐ正当な指導者で、イマームこそがイスラム教の長であると見なしたのです。

ムハンマドの血を継いだイマームの12名はこちら。

  • 第一代イマーム:アリー
  • 第二代イマーム:ハサン
  • 第三代イマーム:フサイン
  • 第四代イマーム:アリー・ザイヌルアービディーン
  • 第五代イマーム:ムハンマド・バーキル
  • 第六代イマーム:ジャアファル・サーディク
  • 第七代イマーム:ムーサー・カーズィム
  • 第八代イマーム:アリー・リダー
  • 第九代イマーム:ムハンマド・タキー
  • 第十代イマーム:アリー・ハーディ
  • 第十一代イマーム:ハサン・アスカリ
  • 第十二代イマーム:ムハンマド・ムンタザル(マフディー) - 隠れイマーム

そして、サーマッラーのこの寺院は、第十代ハーディとその息子、第十一代アスカリはここに眠る神聖なる聖地なのです。

美しい聖地寺院の装飾

サーマッラーの聖地寺院は西暦944年のアッバース朝時代に建設。金色ドームは1905 年に再建された際に72,000 枚の金片を貼ったそうです。流石に聖地の寺院。外装も細やかに美しいです。

天井の装飾はシルバーとパステルカラーで統一され、厳かな雰囲気を醸し出しています。

内部に入場しました。イラクとイランは、イマームの廟壁にこのキラキラした硝子や鏡を張り合わせる装飾が多いです。

写真だと分かりづらいですが、実際に煌めいています。

重厚なシャンデリアとドーム部分のモザイクが美しいですね。

こちらの廟に眠るハーディと息子のアスカリは、生涯のほとんどをここサーマッラーの家宅に軟禁されて過ごしました。彼らはイスラームについて深い学識をもち、後世の学者に利用されるクルアーンの解釈書も編纂するほどの実力の持ち主だったようですが、二人ともカリフの刺客に暗殺されています。それほどスンニとシーアは敵対してきた歴史があります。

寺院内へ入場の際はカメラと靴を預けます。預けると数字の入ったプラスティックの番号札を渡されます。スマートフォンでの撮影は可。入場フリー。女性は寺院へ通じる参道の手前でチャドルをフリーレンタルできますので、着用して入場します。