◆“懐メロバンド”にはならない理由

 まずは若いミュージシャンとの違いです。

 King GnuやOfficial髭男dism、シンガーソングライターなら米津玄師やVaundyなどの新世代のアーティスト。彼らの楽曲は、複雑な和音や転調と込み入ったリズムを多用しながら、サウンドの面では様々なジャンルに精通していることがわかる作りになっています。

 年齢的にデジタルネイティブであることもあり、学習から実装までの間にタイムラグが生じないアドバンテージもある。ひとつの曲のなかで、豊富な知識をまとめる手際のよさにかけて急速に発展を遂げているのです。

 スピッツはそれとは明らかに質感が異なります。彼らの曲に外付けされた知識を感じることはほとんどありません。あくまでも草野マサムネの歌とメロディを聞かせるためのバンドなのですね。

 だからといって工夫がないわけない。スピッツの場合、知識ではなく知恵としてあらわれます。たとえば、「渚」のサビでボーカルとベースがハモる部分。時間にしてほんの数秒。目立ちませんが、勘所を押さえるアレンジはお見事。

「美しい鰭」の歌いだしの変拍子も、ただバンドに技術があることを見せるのではなく、歌と歌詞に必要だからやっている。これも曲のフォルムを特徴づけるための知恵なのです。

 こうした武器を磨き続けているからこそ、“懐メロバンド”にはならないのでしょう。