・歌手のBoAは、2000年8月に韓国でデビュー。
・日本では、2002年発売の『LISTEN TO MY HEART』で人気が爆発し、アルバムはオリコンチャート1位を獲得!
・日本での大ヒットを受け、彼女は路線をガラッと変更。発売予定だった韓国版アルバムのタイトル曲も、急遽変更する事態となった。


歌手のBoA。

“アジアの歌姫”BoA(ボア)の姿に、韓国中が涙!?

韓国のオンラインコミュニティーに『BoAの“No.1”の姿にジーンとして泣くイ・ヒョリ』という映像が上がり、話題になっている。

それは、5月25日に韓国で放送がスタートした、tvNの新バラエティー番組『ダンス歌手流浪団』の映像。

この番組は、韓国歌謡界のレジェンド的存在のキム・ワンソン、オム・ジョンファ、イ・ヒョリ、BoA、MAMAMOO(ママム)ファサの5人が、“ダンス歌手流浪団”として集結し、全国を回りながら人々の日常に入り込み、コンサートツアーを行うというもの。

オンラインコミュニティーに投稿された映像には、BoAが番組のポスター撮影を行う様子が映っている。

彼女は、今から21年前に発売した楽曲『No.1』を彷彿させるファッションで登場。実際に曲も流しながら撮影している。

イ・ヒョリが「『No.1』ポーズをしてー!」とリクエストすると、BoAは腕を上げて人差し指を立てるポーズを取った。

ところが、撮影を見守っていたイ・ヒョリの表情に異変が。どうやら20年前を体現する彼女を見て、当時の様々な思いがよみがえってきたよう。涙を拭う素振りを見せる。

イ・ヒョリは、BoAと同時期に活躍し、韓国で絶大な人気を誇った歌手。幼い年齢でデビューし、頑張ってきた彼女をよく知る一人なのだ。

BoAが「昔を思い出すでしょ? このアミアミの服を着ると」と伝えると、泣いていたイ・ヒョリは「この曲は、なんでこんな悲しいの‥」とBoAを抱きしめた。そんな彼女にBoAは「オンニ(お姉さん)、年を取ったんだよ」と笑った。

BoAは、2000年8月に韓国でデビュー、当時はまだ13歳(日本年齢)という若さ。

1stアルバムには大物作曲家が名を連ね、所属事務所SMエンターテインメントが約30億ウォン(約3億円)をかけた一大プロジェクトを背負う大型新人として注目を浴びる。

その翌年5月には、日本デビュー。しかしすぐに大きな反応が得られた訳ではなかった。

日本で人気が爆発したきっかけは、2002年1月に発売した4thシングル『LISTEN TO MY HEART』。

3月には同名タイトルの日本1stアルバムをリリースし、オリコン総合アルバムチャートで1位を獲得。これは、韓国人アーティスト、さらにアジアのアーティストとしても史上初だった。

この日本での快挙は、韓国地上波で有名な9時のニュース番組で大きく報道されたという。

日本での大ヒットは、彼女にとっても予想を超える出来事だったようで、当時の心境について、彼女は後に次のように振り返っている。

「日本でシングルが思うように売れなくて、最後のアルバムだと思って『LISTEN TO MY HEART』のレコーディングを終えて韓国に戻ってきたら、突然“オリコン3位なので日本に早く戻ってきてください”という連絡を受けた。その後アルバムがオリコンチャート1位になり、100万枚売れたことを見て驚いた」

彼女が韓国に帰って来ていた理由は、韓国でのアルバム発売の準備をしていたから。それが、韓国の2ndアルバム『No.1』である。

このアルバムは、もともとキュートなコンセプトの『My Sweetie』がタイトル曲に内定していたそう。

ところが、日本で発売した『LISTEN TO MY HEART』が大ヒットしたため、韓国での活動方向も、クールでカッコイイ雰囲気にガラッと変更。

タイトル曲も、スウェーデン出身の作曲家Ziggyのユーロポップスタイルの楽曲『No.1』に急遽変えた。

実はこの曲は、韓国の初回版と現行版および日本版に収録されているものとはアレンジが異なるという。

その理由は、アルバムの方向性やコンセプトを突如大幅変更してカムバックしたため、初回版の編曲が完了していなかったと言われている。それだけアルバムの路線変更が急展開だったことがうかがえる。

そしてアルバム『No.1』が発売されたのが、2002年4月。その頃の韓国と言えば、日韓W杯(2002 FIFAワールドカップ)の開幕直前ということもあり、サッカー一色。

しかしその影響を受けることなく、アルバムは世間の関心を集めて56万枚を販売し、当時の韓国での最高販売記録を達成。彼女は韓国国内でも初めて、“No.1”の称号を手にすることになった。

BoAの日本での成功は、韓国での売り出し方を180度変えてしまうくらいの大きな影響力があり、それほど輝かしいものだったのである。

そんな彼女のことを、韓国では“愛国者”と呼ぶ人も。この言葉は、2つの意味を持っている。

1つは、生まれ育った自国を愛し、強い忠誠心を抱く人。もう1つは、“国格”を高めた人。わかりやすく言うと、国に貢献した英雄的な存在。

BoAは、後者の意味での“愛国者”。彼女は21年前の2002年、日本でオリコン1位という快挙を成し遂げ、韓国アーテイストにとって高い壁と言われていた日本市場を開拓したパイオニアなのである。

あれから20年経った今、彼女は、ベテラン歌手らと共に“ダンス歌手流浪団”を結成。

楽曲『No.1』をバックに流し、当時と変わらない姿で登場した彼女を見たネットユーザーは、

「昔のこと思い出して涙が出てきた‥ジーンとくるねTT」

「当時一緒に活動したイ・ヒョリの思い出でもあるから、当然涙が出てくるよね」

「初めて聞いた季節と雰囲気が思い出されて泣きそう」

「過ぎ去った青春に対する懐かしさが浮かんでくる」

「当時BoAの歌をよく聞いてたから、その時代の歌を聞くと胸が熱くなる(泣)」

など、イ・ヒョリ同様、当時を懐かしむ声がたくさん上がっている。読者の方も、BoAが日本で活躍していた頃を思い出した方が多いのでは?