1992年にスタジオジブリから公開され、大ヒットした『紅の豚』!『紅の豚』は、幼い頃から空を飛ぶことに憧れていた宮崎駿さんが、自分の夢として描いた作品。宮崎駿さんにとって、思い入れの強い作品のひとつです。この記事では、ジブリ映画『紅の豚』のモデルになった場所6選を紹介します!
みなさまこんにちは!
ライターのワタナベサツキです*
ジブリ映画『紅の豚』**
『紅の豚』は、1992年にスタジオジブリで制作された長編アニメ映画です**
『紅の豚』はイタリアを舞台にしており、モデルとなった場所もヨーロッパを中心にあるといわれています♡
『紅の豚』の聖地を巡礼して、映画の中に入った気分になってみませんか?
今回は、ジブリ映画『紅の豚』のモデルになった場所6選を紹介します!
『紅の豚』ってどんなお話?
1992年にスタジオジブリで制作された『紅の豚』。
『紅の豚』は、前作の『魔女の宅急便』に続いて劇場用アニメ映画の興行成績日本記録を更新しました**
『紅の豚』は、原作がある作品。
月刊モデルグラフィックスに連載していた「飛行艇時代」という漫画が原作です!
「飛行艇時代」は15ページの漫画作品で、作者はアニメ映画『紅の豚』の監督でもある宮崎駿さん*
『紅の豚』は「飛行艇時代」の大筋を踏襲しながら、シリアスな要素などを追加して制作されました♡*
『紅の豚』のあらすじ
まずは、そんな『紅の豚』のあらすじをチェックしてみましょう**
- 飛行艇サボイアを操る主人公・ポルコ・ロッソは、魔法によって人間から豚の姿に変えられてしまった元イタリア空軍のエース。
人間だったころはイタリア空軍のエースだったのですが、現在はアドリア海の小島で空賊退治を仕事とする賞金稼ぎとして生活しています。
赤い飛行艇に乗っていたポルコは、空賊たちから「紅の豚」と呼ばれ、目の敵にされていました。
ポルコに歯が立たない空賊連合は、アメリカ人の飛行艇乗りカーチスを用心棒として雇います。
ポルコと仲が良いジーナのことを気に入ったカーチスは、ポルコを倒せばジーナが自分の方を向いてくれるのではと考えました。
こうしてポルコとカーチスは、飛行艇で一騎打ちをすることになるのです‥
『紅の豚』は、幼い頃から空を飛ぶことに憧れていた宮崎駿さんが、自分の夢として描いた作品**
宮崎駿さんは『紅の豚』のことを『ロマンアルバム 紅の豚』の中で「若者をまったく排除して作った(中略)『中年のための映画』」とも述べています。
『紅の豚』は、宮崎駿さんが続編製作を考えていると発言するなど、宮崎駿さんにとっても思い入れの強い作品なのです!
『紅の豚』の時代設定
『紅の豚』は、1920~1930年代のアドリア海が舞台。
第一次世界大戦で戦勝国だったイタリアですが、当時経済的には不安定になっていました‥
その様子を、イタリア国民からは「栄光なき勝利」とも呼ばれていました!
『紅の豚』には、このような時代背景がしっかりと反映されています*
また、当時のイタリアではファシスト党の活動が活発になっていました。
戦後の不況の中で、愛国心を大義名分として略奪や襲撃を繰り返していたファシスト党‥
『紅の豚』の中でも、ポルコが銀行員から「愛国債権でもお求めになって民族に貢献されたら?」と声をかけられる様子などから、当時の情勢が反映されていることがわかります!
『紅の豚』のモデル①アドリア海
地中海に位置するアドリア海沿岸は、公式から「大いに参考にした場所」として発表されている『紅の豚』のモデルとなった場所。
アドリア海はイタリアやクロアチア、ギリシャなど、7つの国が面する海で、古来から重要な海上交易路として利用されていました!
イタリア側には「アドリア海の女王」と呼ばれたヴェネツィアなどの港があり、クロアチア側には「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロブニクなどの保養地があります*
アドリア海は、『紅の豚』でポルコたちが飛行艇に乗って舞っていたあの海のモデル♡*
街並みなどは、アドリア海沿岸がモデルになっています**
『紅の豚』のモデル②ドブロブニク(クロアチア)
クロアチアにあるドブロブニクは、ジブリ映画『魔女の宅急便』と『紅の豚』のモデルになったといわれています!
ドブロブニクはアドリア海の真珠と呼ばれるほど美しい土地で、世界遺産にも登録されている美しい風景が魅力的な場所*
『紅の豚』では、飛行艇が街の上空を旋回するシーンや、ポルコがホテル・アドリアーノから街に戻るシーンなどが、ドブロブニクの風景によく似ています。
オレンジの屋根が立ち並ぶ『紅の豚』に登場する街は、ドブロブニクの風景そっくり♡*
ドブロブニクはアドリア海沿岸に位置する街なので、公式から発表されているモデル地「アドリア海沿岸」と一致します*
ドブロブニクは『紅の豚』のモデル地として、間違いなさそうですね!