デヴィ夫人として老若男女から親しまれているデヴィ・スカルノさん。その美貌と知性からインドネシアの大統領夫人となり、ひと言では語れない壮絶な人生を歩んできたデヴィ夫人の現在と人生に迫ります。若き日の美しい画像にも注目してみました!

デヴィ夫人のプロフィール!本名や血液型は?

本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(インドネシア名)
   根本 七保子(旧名・日本名)
   デヴィ夫人(別名義)
生年月日:1940年2月6日(79歳)*2019年10月現在
出身:東京府東京市麻布区霞町(現:東京都港区西麻布)
国籍:インドネシア
血液型:A型
職業:タレント

デヴィ夫人の国籍は、現在もインドネシアです。現在は日本国内でタレントやコメンテーターとして幅広く活躍され、はつらつとされていますよね。戦前生まれで、2019年現在79歳なんですね。

デヴィ夫人の年齢はいくつ?若い頃の可愛すぎる画像も!

プロフィールにも記載しましたが、2019年で79歳、2020年で80歳を迎えられます。仕事の現場で会った小雪さんが、今でも美しさを保たれていることに驚いたというエピソードも!

若いころの美しさは、ファンならずともため息を漏らしてしまうほどの美貌でした。まるでオードリー・ヘプバーンのような美しさだと思いませんか?

デヴィ夫人と同じ年生まれの有名人は?

デヴィ夫人と同じ、1940年生まれで活躍されている有名人をリストアップしてみましょう。

  • 津川雅彦さん
  • 板東英二さん
  • 岩本多代さん
  • 大空眞弓さん
  • 浅丘ルリ子さん
  • 王貞治さん
    *順不同

意外にたくさんの方がいらっしゃいました。ちなみに、ジョン・レノン、ブルース・リーさんもご存命であれば同じ年の生まれだったそうです。

こうしてみると、年齢を感じさせないエネルギッシュな方が多いですよね。デヴィ夫人もまだまだ第一線で、精力的に活動されていらっしゃいます。

15歳で映画にエキストラ出演!

1955年、デヴィ夫人が15歳の時に『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』という新東宝製作の映画にエキストラ出演されたそうです。こちらが当時のポスターの画像です。このころから美貌が注目されていたのでしょうか。ただ、当時の芸能活動は残念ながらあまり進展がなかったようです。

翌年に父が亡くなり高級クラブへ…

1956年、当時高校生だったデヴィ夫人は、生麻布区霞町界隈(現西麻布)で大工の棟梁をしていた父を亡くします。その後、生活のために高校を中退して、赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働くようになったそうです。

もともと高校入学時から喫茶店でのアルバイトと学業を両立させていたそうですが、家族のために本格的に稼げる場所に移ったということでしょう。「弟を大学に行かせてやりたい」と学費を稼いでいたのでは、という話もあります。

高校も中退してしまい、ご苦労されていたようですが、クラブでは彼女の人生を一変させる出会いが待っていたのです。

デヴィ夫人とスカルノ大統領との結婚~亡命!壮絶すぎる!

赤坂のクラブで働いて培われた人脈の関係から、19歳のデヴィ夫人は「東日貿易の秘書」として、スカルノ大統領を訪ねました。そこから彼女と大統領のつながりが生まれたそうです。

スカルノ大統領夫人となったのは何歳?

それからデヴィ夫人はスカルノ大統領の愛人となり、インドネシアに移り住むようになりました。1959年、彼女が19歳の時のことでした。そして1962年には、4人の夫人のうちの「第3夫人」として正式に結婚することになったのです。当時デヴィ夫人はまだ22歳だったそうです。今で言えば4年生の大学を卒業するかしないか、という年齢ですね。

母と弟の死…デヴィ夫人のトラウマとは?

それはまるでシンデレラのようでした。貧しかった生活から脱却し、成功を収めたデヴィ夫人は、当時の日本でも大きな話題となりました。半面、その反響からマスコミの多くが彼女の実家まで押しかけるようになってしまったそうです。そして、それが原因となり、悲しい事件が起きてしまったのです...。

マスコミに追いかけられた母親が体調を崩してしまったのです。それを聞いたデヴィ夫人はすぐにインドネシアから帰国されたそうですが、その40日後にお母様は亡くなってしまってしまわれたそうです。さらにその2日後には、追いかけるように実弟が自殺してしまうという事件がデヴィ夫人を襲ってしまいました。

弟は、友人のセールスマンに全財産を騙し取られ、さらに母の死に目に会えなかった事を気に病んで、自宅アパートでガス自殺を図ったということでした。

デヴィ夫人にとって二人の死は、今でもトラウマになってしまっており、後にジャカルタの宮殿の一つに「YASUO」と弟の名をつけたのだそうです。

スカルノ失脚はいつ?娘の出産は何歳?

さらにインドネシアで、1965年9月30日に「軍事クーデター」で起き、スカルノ大統領が失脚に追い込まれました。スカルノ元大統領は新たに大統領となったスハルト氏によって軟禁され、デヴィ夫人は亡命を決意します。

ところが、インドネシアの日本大使館からは亡命を断られてしまいます。そのクーデターが起きた当時、デヴィ夫人は妊娠中だったので、デヴィ夫人はなんとか日本に一時帰国を試みて、無事に東京都内の病院でスカルノ元大統領の8番目の子供となるカリナさんを出産しました。それは、デヴィ夫人が27歳の時のことでした。

その後、フランスへの亡命が認められることとなり、デヴィ夫人はフランスへ移住します。彼女は、実に波乱万丈な10代、20代を過ごされたということがわかりますね。

亡命後、日本に帰ってきたのはいつ?

カリナさん出産後の1970年、デヴィ夫人はフランスに亡命します。そして1980年には、遺産相続や起業のためにインドネシアに戻りますが、居場所を見つけられず、1991年にはニューヨークに移住することになりました。そして1996年以降はバラエティ番組などテレビ出演が増え、タレントとして活躍するようになりました。

デヴィ夫人は総入れ歯って本当?美への意識がすごい!

デヴィ夫人「不謹慎ではありますが、後藤さんにはいっそ自決してほしい」 2ch「これが言えない辛口芸人は偽物だね」2channelnews.blogspot.comちゃんねるにゅーす+1: デヴィ夫人「不謹慎ではありますが、後藤さんにはいっそ自決してほしい」 2ch「これが言えない辛口芸人... デヴィ夫人の歯は総入れ歯ではないか、とウワサされていましたが、本当はどうなのでしょうか。その検証になる番組が放送されましたので、ご紹介いたします。

過酷なロケなど78歳とは思えないパワフルなタレント活動を繰り広げるデヴィ夫人。元気の理由は歯にあるのではと、都内の歯科医院でレントゲン撮影を含む精密な歯科検診を行った。その結果、現在虫歯が一本もないだけでなく、過去に虫歯の治療をした形跡もないことがわかった。

引用元: https://hochi.news

2018年3月14日に、日本テレビ系列で放送された「1周回って知らない話」で、デヴィ夫人の入れ歯疑惑は一蹴されることになりました。番組内で実施された歯科検診によって「すべてが本物。しかも歯がすべて健康で残っている」ということも判明しました。

彼女の健康の歯の秘密は、毎日5回以上歯磨きをしていることと、彼女のだ液の性質が特異で、虫歯を作りにくかったためだとわかりました。16歳のころから入れ歯にしていた、というウワサもありましたが、実際は違っていたようです。

ただ歯を必要以上に大切にされる、というのはさすが美意識の高い方だと言えるのではないでしょうか。