松本白鸚の心意気を見た思いだった。

26歳の時から挑み続け80歳の今もなお傑作ミュージカルのドン・キホーテを演じる舞台に立った。その初日。主題である“見果てぬ夢”の魂を込めた姿であった。

歌舞伎俳優白鸚の真骨頂の究極の演技でもあった。それは一体となった心・技・体にある。ファイナル公演と銘打たれ、歌舞伎で言う一世一代、役収めに当たる。演出を兼ねた白鸚は装置・美術を大胆に変更し、それに伴った演出・演技も工夫し尽くした。「体」への対応なのだった。

最初に登場した牢に向かう場面。見慣れた観客は驚いただろう。急傾斜の長く高く伸びる梯子は、舞台とほぼ平行、平坦に変わっていた。風車に突撃する芝居は槍を投げつける形となった。荒くれ連中との格闘、鏡の騎士との闘いは相手の動きをかわす立ち回り。その手があったのか。サンチョの駒田一が終始、背後から黒子のように支えた。歌舞伎の手法を取り入れたのである。

左から)セルバンテス/ドン・キホーテ役・松本白鸚、サンチョ役・駒田一 写真提供/東宝演劇部

加齢とともに身体は変化が現れ、衰える。白鸚は、しかし、動作を抑えながらも身体の軸は直立していた。不動だった。

1幕。牢で詩人キハーナからセルバンテス、そしてドン・キホーテにと瞬く間に変身していく。髭を付け、頭髪を逆立てて化粧を加える。その間の台詞が粒立つ。走る馬に乗って旅立つキホーテ。語尾を強く放つ台詞に胸が打たれる。「技」である。

驚くのは「心(しん)」だ。それは衰えない声にある。歌う姿だ。思い姫を歌う「ドルネシア」は哀愁が豊か。最高の見せ場、「見果てぬ夢」は枯れ木の枝を持ち、下手の二階席方向をただ一点を見つめた。噛みしめる如く、頷く如く歌い上げた。その姿は底からの哀しみを出していた。

力の限りに歩み続ければ、心は決して退化しない。その白鸚の心意気にアルドンザの松たか子、牢名主の上條恒彦、神父の石鍋多加史らが寄り添っていた。(4月14日所見)

左から)アルドンザ役・松たか子、セルバンテス/ドン・キホーテ役・松本白鸚 写真提供/東宝演劇部