バイオグラフィー

1976年、ボズ・スキャッグスの名盤「シルク・ディグリーズ」のレコーディングに参加したジェフ・ポーカロ(dr)デヴィッド・ペイチ(key)デヴィッド・ハンゲイト(b)の3人に加え、スティーヴ・ポーカロ(key)、スティーヴ・ルカサー(g)が加わる形でTOTOを結成。翌1978年、デビューアルバム「TOTO~宇宙の騎士」を発表。デビュー・シングル「ホールド・ザ・ライン」は全米5位を記録し大ヒット。アルバム自体もアメリカで200万枚、世界で450万枚というセールスを記録した。1979年、2ndアルバム「ハイドラ」をリリース。「99」「ホワイト・シスター」などがヒット。翌年3月初来日公演が実現。追加公演を含む全10公演すべてソールド・アウトとなり、日本での人気を確立した。1981年、3枚目のアルバム「ターン・バック」をリリース。リード・シングル「グッバイ・エレノア」は日本で大ヒットし、国内での躍進を証明。1982年の4作目のアルバム「TOTO Ⅳ~聖なる剣」はアメリカでは300万枚、全世界で1,200万枚を売り上げる大ヒットとなり、グラミー賞で6部門を獲得「ロザーナ」「アフリカ」といった大ヒット曲が生まれた。日本武道館3公演を含むジャパン・ツアーは大成功を収める。また、各メンバーはTOTOでの活動と並行してスタジオ・ミュージシャンとしても活躍し、マイケル・ジャクソンの人類史上もっとも売れたアルバム「スリラー」をはじめ、80年代の全米音楽シーンはTOTO抜きでは語れないというほど、様々なアーティストのヒット作品に関わった。ボビー・キンボール(vo)の脱退により、ファーギー・フレデリクセンを起用した5枚目のアルバム「アイソレーション」は1984年にリリース。1stシングル「ストレンジャー・イン・タウン」がヒット。前作ほどのセールスには及ばずともゴールドディスク(50万枚)を達成したが、ファーギーはこの1枚のアルバムとツアーのみの参加で脱退する。1986年に6作目のアルバム「ファーレンハイト」を発表。ヴォーカルには映画音楽の巨匠として知られるジョン・ウィリアムスを父に持つジョセフ・ウィリアムスが加入。この作品からは「アイル・ビー・オーバー・ユー」がヒット。翌年スティーヴが映画やテレビ音楽のキャリアを追求するために脱退。1988年には7枚目のアルバム「セブンス・ワン~第7の剣~」をリリース。リード・シングル「パメラ」がヒットしツアーは大成功を収めたが、ジョセフ・ウィリアムスが脱退。後任として、ジャン=ミシェル・バイロンが加入するが、初のベスト・アルバム「Past to Present」をリリース後に脱退し、バンドのリード・ボーカルが不在となる。1992年に8作目のアルバム「キングダム・オヴ・デザイア~欲望の王国」を発表。しかし、このアルバム完成直後の8月5日、バンドのリーダーであったジェフ・ポーカロが自宅の庭で防虫剤をまいていたところ、アレルギーによる心不全のため38歳で死去。後任には親交のあったサイモン・フィリップスが加入。1995年TOTOは再始動し、サイモンとの最初のアルバムである「タンブ」を発表し、全世界で60万部を売り上げバンドの復活をアピールした。1998年にはデビュー20周年を記念して、これまでの未発表音源を集めた『TOTO XX』をリリースしツアーを行った。このツアーには元メンバーのボビー、ジョセフ、スティーヴも加わった。ツアー終了後、ボビーが14年ぶりにリード・シンガーとしてバンドに復帰し、1999年10枚目のアルバム『マインドフィールズ』をリリース。ジョセフも3曲を提供し、アルバムに貢献した。2002年、結成25周年を記念して、ボブ・マーリー、スティーリー・ダン、ビートルズ、エルトン・ジョンなど初のカバー・アルバム「スルー・ザ・ルッキング・グラス」をリリース。「25周年記念ツアー」の終盤、ペイチが家族の病気を理由にツアーから離脱。代役として、グレッグ・フィリンゲインズ(key)が参加する。ペイチがほとんどツアーに参加しなくなったことにより、正式にバンドへ加入となった。しかし、その後もペイチは曲作りには参加し、プロデュースを引き受けていた。2006年、ニュー・アルバム「フォーリング・イン・ビトゥイーン」をリリース。ペイチは全面的に曲作りに参加、スティーヴ・ポーカロも制作に加わる。ファースト・シングル「ボトム・オブ・ユア・ソウル」ではジョセフもデュエットで参加している。翌年、マイク・ポーカロがALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し療養に専念するため離脱。2008年にはボズ・スキャッグスとの豪華組み合わせによるジャパン・ツアーが実現し大きな話題となった(当然ソールド・アウト!)。その後、相次ぐメンバーの離脱を受けてルークは活動終了を宣言する。しかし、2010年にはペイチの呼びかけでメンバーが再会、マイク・ポーカロ救済を目的としたツアーのために再始動した。メンバーはデヴィッド・ペイチ(key)、スティーヴ・ルカサー(g)、スティーヴ・ポーカロ(key)、サイモン・フィリップス(dr)、ジョセフ・ウィリアムズ(vo)、そしてマイクの代役にはネイザン・イースト(b)を迎えた。2013年、バンドは35周年を迎え記念ツアーを開催。ポーランド公演の模様は映像商品としてリリースされた。翌年来日公演も実現し、衰えるどころかますますタイトになった完ぺきなパフォーマンスを披露したのだったが、その後サイモンが自己の活動を優先するために脱退。2015年、14枚目のアルバム「XIV~聖剣の絆」をリリース。前作から9年ぶりのオリジナル・アルバムになった。この年の3月にはマイクがALSとの闘病の末、合併症で死去、59歳だった。2018年、40周年記念ベスト・アルバム「40トリップ・アラウンド・ザ・サン~グレイテスト・ヒッツ」をリリース。その後ワールド・ツアーに乗り出した。メンバーはジョセフ・ウィリアムズ(vo)、スティーブ・ルカサー(g)、デヴィッド・ペイチ(key)、スティーブ・ポーカロ(key)の不動の4人。レニー・カストロ(perc)、シャノン・フォレスト(dr)、ウォーレン・ハム(vo)、シェム・フォン・シュレック(b)が脇を固めた。以降、ベース、ドラムのリズム隊には正式メンバーを募っていない。ペイチは健康面の不安によりツアーに参加していないが、現在に至るまで地元の公演などでは幾度かスポット参加している。同年すべて新曲で構成された「Old Is New」を収録したBOXセット「オール・イン」をリリースした。これには「40トリップ・アラウンド・ザ・サン」ですでに発表された新曲3曲に加えて、故ジェフ・ポーカロと故マイク・ポーカロ、またはデヴィッド・ハンゲイトとの昔の音源を掘り出してリライトしなおした4曲を収録した。さらにはデビュー40周年を記念した大規模なワールド・ツアー「40TRIPS AROUND THE SUN TOUR」をスタート、2019年2月には17回目となる来日公演も実現させ、日本武道館を満席にした。コロナ禍の2020年11月21日に若いアーティストたちと新たなラインナップで再始動。世界に向けて一夜限りのストリーミング・ライヴ・イベント「With A Little Help From My Friends」を開催。後に同タイトルのライヴ作品としてリリースされた。2021年にはルークとジョセフがそれぞれソロ・アルバムをリリースしている。今後の活動について「ライヴとアルバムによって俺たちのレガシーは育まれ、音楽は生き続けてきた。それを俺が辞めることは決してないよ」(ルーク)。「最高のミュージシャンとシンガーが集まったバンドが、あらゆる種類のクールな曲を自作してプレイするんだ。それがTOTOの出発点であり、この先も同じように続いていく」(ジョセフ)と語っている。数々のアーティストに関わり、自身もグラミー賞を獲るなど、アメリカの音楽シーンにあまたの偉業を残してきたTOTO。決して色褪せることのない数え切れないほどの名曲の数々披露する、最高のライヴ・パフォーマンスを堪能しよう。

<来日予定メンバー>

スティーヴ・ルカサー(g,vo)
ジョセフ・ウィリアムス(vo)

ジョン・ピアース(b)
ロバート“スパット”シーライト(dr)
ドミニク“エグゼヴィア”タプリン(key)
スティーヴ・マッジオラ(key)
ウオーレン・ハム(sax, etc.)

<来日ヒストリー>
1. 1980年3月-4都市10公演
2. 1982年5月-7都市10公演
3. 1985年3月-7都市9公演
4. 1986年10月~11月- 5都市8公演
5. 1988年4月-5都市9公演
6. 1990年10月~11月- 4都市6公演
7. 1992年11月-5都市7公演
8. 1996年3月~4月- 7都市10公演
9.1999年4月-7都市9公演
10. 2002年12月-7都市10公演
11. 2004年9月 東京JAZZ2004出演
12. 2006年4月~5月- 8都市9公演
13. 2008年3月-4都市8公演
14. 2011年9月-5都市6公演
15. 2014年4月~5月- 5都市7公演
16. 2016年3月-8都市8公演
17. 2019年2月-8都市8公演