J.K.ローリング Photo: Stuart Hardy/ABACAPRESS.COM/ShutterstockJ.K.ローリング Photo: Stuart Hardy/ABACAPRESS.COM/Shutterstock

人気小説「ハリー・ポッター」の原作者J.K.ローリング(57)が、元夫ジョルジェ・アランテスから受けたひどい仕打ちについて語っている。

火曜日に公開されたポッドキャスト番組「The Witch Trials of J.K. Rowling」にて、J.K.ローリングは、最初の夫ジョルジェ・アランテスに「ハリー・ポッター」の原稿を“人質”にされた過去を暴露した。

1992年から1995年まで続いたアランテスとの結婚生活について、ローリングは「とても暴力的で、支配的であった」と説明。ローリングを自分の元につなぎとめることに必死だったアランテスは、彼女が家に帰るたびにハンドバッグを探ったり、ローリングに自分の家の玄関のカギを渡さなかったりと、彼女をコントロールしていたという。

「彼はバカじゃないから、私がまた逃げようとするのを知ってたか、疑っていたのだと思う。演技をしなければならず、生きるのが恐ろしいほどの緊張状態だった」

演技やポーカーフェイスも得意ではなかったローリングがこのころ密かに進めていたのが、のちに大ヒットを記録する「ハリー・ポッター」の執筆だ。当時の苦労について「まるで自分がやっていないふりをするのは、大きな負担だった。それでも原稿はどんどん増え、書き続けていかなくてはならなかった」と述べている。

また、ローリングは「ハリー・ポッター」を執筆するにあたり、いかにして“アランテスにバレないか”が重要であったかを明かしている。

「実際、彼はあの原稿が私にとってどれだけ大切であるかを知っていた。彼が原稿をこっそり持ち出して隠したことがあったからよ。あれは彼の人質だった」

ようやくアランテスとの決別を決意したローリングは、執筆と同時に秘密のミッションを決行した。それは“アランテスに原稿が足りていないページがあると悟られないよう、毎日こっそりと原稿を数ページだけ職場に持って行き、コピーする”というものだ。アランテスに大事な原稿を“燃やされたり、取られたり、人質にされたりする”ことを恐れての行動だった。

「スタッフルームの戸棚の中には少しずつ、私がコピーした原稿がこれでもかというくらいに増えていった。もし、私がすべてを持って家を出られなかった場合、彼にこの原稿を焼かれるか、取られるか、人質にされるのではないかと思ったから」

いかに“原稿”が大切であったかを明かしたローリングだが、それ以上に大切な存在があった。それは娘のジェシカ・イザベル・ローリング・アランテス(29)だ。彼女について「その時点では娘はまだ私のお腹の中にいたから、そんな状況下でも安全だった」と語っている。

最初の小説「ハリー・ポッターと賢者の石(原題:Harry Potter and the Philosopher's Stone)」は1997年に出版され、この小説とその後のシリーズは世界的ヒットを記録。2001年には映画化もされ、こちらも驚異的な興行収入を獲得した。