片思いの男性はとっても素敵な人で自分なんかには振り向いてくれないだろう...そんな時、「きっと付き合ったら大したことないわよ」と強がって諦める心理をイソップ童話にちなんで「酸っぱい葡萄心理」と言います。今回は酸っぱい葡萄心理と臆病な心について話をします。

【酸っぱい葡萄】酸っぱい葡萄のお話

イソップ童話の「酸っぱい葡萄」というお話をご存知ですか?

イソップ童話はグリム童話やアンデルセン童話のような民話やただのおとぎ話ではなく、教訓を秘めた物語で生きていくうえでの道徳心や善悪を教えるようなお話になっているところが特徴的です。

どちらかといえば「傘地蔵」のような日本昔話の立ち位置でしょうか。

酸っぱい葡萄のお話は狐が主人公。

ある日、散歩をしていた一匹の狐が美味しそうに下がる葡萄を目にします。 どうしてもその葡萄を食べたくなった狐は何度もジャンプしますが、どうしても届きません。 ついには怒って

「こんな葡萄、どうせ酸っぱいに決まってる!」と捨て台詞を残してその場を立ち去るというお話です。

【酸っぱい葡萄】酸っぱい葡萄の意味とは?

諦めてしまった狐が捨て台詞を言って立ち去る行為には、心理的に大きな意味が隠れています。 頑張って努力しても手に入らない物に対して、自分で心に折り合いをつけているのです。 これが自己防衛本能であり、難癖をつけることで手に入れることができなかった自分を正当化するという心理です。

諦めてしまう自分を肯定化することで、自分のプライドや心が傷つかないようにしようという心理が働くのですね。

自己防衛の心理ですから、メンタルヘルスという点ではとても良い効果があると言われています。 しかしそこまで努力もしないで酸っぱい葡萄を使うのは間違いです。 それではただの「負け惜しみ」になってしまい、良い対処法どころか、悪い結果を招くことになってしまうので注意しましょう。

【酸っぱい葡萄】恋愛における酸っぱい葡萄とは?

では恋愛シーンでの「酸っぱい葡萄」心理とはどういう意味でしょうか?

恋愛において「葡萄」に当たるのは「男性」 あなたにとって「気になる男性」を指します。

対して酸っぱいは「ろくでもない」や「付き合うと大したことない」「性格が悪い」などの形容詞になるでしょう。

つまり

「気になる素敵な男性がいる」のだけど、「なかなか振り向いてくれない」から、「あんな奴絶対性格悪いから」と負け惜しみを言う

という事になります。 これが恋愛におけるイソップ童話の酸っぱい葡萄心理。

恋は縁ですから、いくら好きになってもその人が振り向いてくれるとは限りません。 したがって叶わない恋ごころをずっと引きずっているよりは、負け惜しみでもなんでもいいから自分の恋ごころに区切りをつけ、前に向かうことはとても良い事です。 何度も何度もぶち当たって砕け散るばかりでは心が病んでしまいますからね。

【酸っぱい葡萄】諦めていいの?

でも酸っぱい葡萄には落とし穴も存在します。

ここで質問。 本当にその人を手に入れようとして努力をしましたか?

例えばその人が彼女持ちだったり、妻帯者なら諦めても仕方ありません。 でも好きだから告白したら振られた...では努力になっていませんよね?

もちろん告白するという行為はとっても勇気がいるし、告白できた事は素晴らしい事です。 でも、告白する前に彼を手に入れるために努力しましたか?

例えばおしゃれに気を使う。 きれいな言葉遣いを心がける。 さりげなく誘ってみる。

など、正面切ってぶつかる前に餌を巻いておくことはできるはず。 正攻法で行っても恋愛は失敗するだけです。 やれるだけの事をしたうえでなら失敗しても負け惜しみでもイソップ童話の酸っぱい葡萄心理で正当化することは悪い事ではありません。

【酸っぱい葡萄】逃げはクセになる

一つ注意したいのは、「逃げはクセになる」という点です。 確かにイソップ童話の酸っぱい葡萄心理を使えば自分の失敗は正当化できます。 でも、恋愛の場合、失敗しそうだから先に諦める...という人もいます。 それは負け惜しみでも何でもないただの「逃げ」です。

傷つきたくないから、失敗そのものを避けて通る行為。

イソップ童話の酸っぱい葡萄心理を使えば自分の心は守れますが、いつまでもその陰に隠れていると何も始まりません。 だって敵前逃亡もいいところですからね。

手に入れたい人がいるなら、負け惜しみ言ってないで手に入れる努力を。 告白だけが手に入れる方法ではありません。 まず恋愛感情を抜きにしてその人と仲良くなることだってできますよね?

いつも「どうせ私なんか」と思っていたら、うまくいく縁も逃げていってしまいます。