“ののちゃん”こと村方乃々佳ちゃんが快挙達成です。

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◆「アルバムをリリースした最年少ソロアーティスト」ギネス世界記録達成

 2021年5月26日リリースのアルバム『ののちゃん2さい こどもうた』の発売時の年齢(2歳と361日)が「アルバムをリリースした最年少ソロアーティスト」として認定。『ギネス世界記録2023』に掲載されることになったのです。

 2歳5ヶ月で出場した「第35回童謡こどもの歌コンクール こども部門」での銀賞に新たな勲章が加わりました。

「ののちゃん 2さい こどもうた」キングレコード
「ののちゃん 2さい こどもうた」キングレコード
 そして4歳になったいまも、歌番組をはじめバラエティにCMと大活躍。童謡だけでなく、あいみょんや小田和正などの大人の曲を歌う愛らしい姿も話題を呼んでいます。

 だけど、彼女を見るたびに筆者は心が痛みます。それは“大人の言いなりになってかわいそう”といった感想とは違う。小さい子供が芸能界で活躍する例は他にもあるし、親子の意思疎通も外部からはうかがい知れないものがあるからです。

◆幼さを印象付ける歌い方でサービスしている雰囲気

 引っかかるのは、歌の芸風が変わっていない点です。一人の女の子としての成長に対して、幼さを保存させようと歌が抗(あらが)っているように聞こえるのですね。

 今年8月に配信された「幸せなら手をたたこう」を聞くと、声のトーンは落ち着いてきたし、多少恥じらいを感じているような場面も見受けられます。ギネス認定を受けてのインタビュー動画でも同じ感想を持ちました。

 しかし、肝心の歌に幼さを印象付ける装飾が残ってしまっているので違和感が生じてしまう。たとえば、<手をたたこう>の歌い終わりで、勢い余って音程と音量が上がってしまうところ。2歳5ヶ月の「いぬのおまわりさん」ならば自然に聞こえたものも、4歳だと少し作為的に聞こえてしまう。大人に気を使ってサービスしている雰囲気があるのです。

 立ち居振る舞いは自然な成長を遂げているのに、歌の時間だけが止まっている。人格に対して歌が逆行するような現象と言えるかもしれません。一体なぜこういうことが起きてしまうのでしょうか?

◆2歳5ヶ月での看板商品「いぬのおまわりさん」から変えられない

 それはひとえに「いぬのおまわりさん」が強烈過ぎたからなのだと思います。2歳5ヶ月にして看板商品を生み出してしまったために、それが不動の定番になってしまった。

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 さらに今の時代はテレビだけではありません。ネット、SNSを通じて、“ヒット商品”がまたたく間に伝播(でんぱ)していきます。瞬間最大風速的な売り上げはその人自身と即座に結びつけられ、その場その場でキャラと価値が定められる。

 2歳5ヶ月の歌は、そうした秒単位の取引によって成功を収めました。それゆえに、“ののちゃん”の看板で歌い続ける限りは、歌の型を変えることが出来なくなります。いわば纏足(てんそく。昔の中国で行われた、女性の足を小さくするために、幼いころから足の指を裏に折り曲げて布できつく縛り、発育をおさえた風習)のような制約の中でしか生かされない歌になってしまいました。

◆「崖の上のポニョ」大橋のぞみとは逆

 対照的なのが、中学進学と同時に芸能界から引退した「崖の上のポニョ」の大橋のぞみです。その時点での年齢と人格からしか生まれ得ない瞬間芸だと理解していた、見事な引き際でした。“歌手の子供”ではなく“子供が歌う”。冷静なコンセプトがやみくもに一人の女性を消費することから守ったのです。

「ののちゃん 3さい こどもうた」キングレコード
「ののちゃん 3さい こどもうた」キングレコード
 現時点で村方乃々佳さんにそのような逃げ道が用意されている雰囲気はありません。それはYouTubeチャンネルのファンシーな色使いからも見て取れます。

 カラフルで楽しげな色彩を前面に押し出す。ことさらに商品性を強調される4歳児の心情は知る由もありません。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】

音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4