映画『窓辺にて』が2022年11月4日より劇場公開されている。目玉は稲垣吾郎が主演を務めていること。そして、彼が後述する「ある悩み」を抱えた男性に見事にハマっていることだろう。

窓辺にて_本ビジュアル
©2022「窓辺にて」製作委員会
 143分という長めの上映時間ではあるが、あっという間に感じるほどに本作は面白い。監督は『愛がなんだ』(2019)や『街の上で』(2021)などの恋愛映画で支持を得ている今泉力哉。男女の会話劇を、時にクスクス笑えて、時に人生の深淵を垣間見させるように表現するその手腕が今回も冴え渡っていた。さらなる魅力を記していこう。

◆パフェを食べながら話し合うだけで面白い

©2022「窓辺にて」製作委員会
 あらすじを簡単に紹介しよう。フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者の妻・紗衣(中村ゆり)が、担当している売れっ子作家と浮気していることに気づいているものの、何も感じないでいる自分にショックを受けていた。ある日、茂巳は文学賞の取材で高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)と出会い、その小説のモデルの人物と会ってみないかと提案される。

 まず面白いのは、稲垣吾郎と玉城ティナが演じる、年齢はもちろん内面もまったく異なる2人が出会い、なんだかんだで打ち解けていく様だ。彼らは喫茶店で、「パフェの語源は何か」といううんちくから派生した、「後悔」にまつわる考えを話し合ったりする。

 その後もさまざまな会話に「なるほど、そういう考え方もあるのか」と共感できたり、かと思えば「それはさすがに極端でしょ」とツッコミを入れたくなったりもする。それぞれが取り留めのない会話のようでいて、その過程では登場人物の成長も垣間見えるし、前の会話が後の会話とつながっていたりするなど、計算され尽くされている。もっと言えば、「パフェを食べながら話し合うだけで面白い」ことが、この『窓辺にて』の最大の魅力だ。

◆ショックを受けないことがショックという悩み

©2022「窓辺にて」製作委員会
 稲垣吾郎演じる主人公は、妻が浮気をしていることに「ショックを受けないことにショックを受けている」。そこだけを切り取れば非人間的な印象を持ったり、または理解できないという人もいるかもしれないが、映画本編を観れば、多くの人が彼に「誠実」や「生真面目」といった好印象を持つのではないか。

 なぜなら、彼は玉城ティナ演じる高校生作家と知り合ったことを(おそらく)きっかけにして、長年の友人や、はたまたこれまで接点を持たなかった人たちにも、その悩みを打ち明けていくからだ。そして、妻の浮気にショックを受けない自分はおかしいのかと、必死なまでに誰かに聞いていく。そのことが、妻への愛情が確かにあるという証拠とも言えるし、その不器用な様が愛おしく映ったのだ。

 そもそも、何かの事象に対して「周りの人間が喜んだり悲しんだりしているのに、自分は何も思わないなんて、おかしいんじゃないか」と思うこと、転じて「誰かに理解してもらえない(と思い込む)こと」は、浮気の話に限っていない、実は普遍的な悩みとも言えるのではないだろうか。彼がまったく特別な人間ではない、普通の人だと思える人もいるはずだ。

◆激しく感情を出さないからこそのハマり役

©2022「窓辺にて」製作委員会
 そんな悩みを持つ主人公の稲垣吾郎は、月並みな表現ではあるが「彼以外にはこの役は考えられない」ほどのハマり役だ。その大きな理由は、稲垣吾郎というその人が「激しく感情を出さない」タイプであることだろう。

 思えば、稲垣吾郎は『十三人の刺客』(2010)で、極悪非道の大名を見事に演じていたこともあった。それは稲垣吾郎の良い意味での表立っての感情が読みにくい様が、悪役のサイコパスな印象につながってより恐ろしく見えた、ということだろう。

 だが、今回の『窓辺にて』の主人公は、それとは真逆の善性に満ちたキャラクターであり、感情を表にあまり出さないことはシンプルに「穏やか」な印象につながっている。さらに会話の端々からわかる生真面目さ、あるいは稲垣吾郎本人の清廉潔白とも言えるイメージも手伝って、とても信頼できる魅力的な人間に見えてくる。それでいて、良い意味でちょっと世間からズレている、あるいは「天然」なところもあるかわいらしさも、稲垣吾郎というその人の「らしさ」に思えてくるのだ。

 勝手な想像にすぎないが、稲垣吾郎もまた、アイドルという多くの人から見られる立場でありながらも、感情をあまり表に出さないことから、理解されなかったり、誤解をされていたことがあったのではないだろうか。実際に稲垣吾郎は『窓辺にて』の主人公に対して、「共感するところもある」「自分が知っている感情だ」と語っていたこともあったそうで、やはり本人のパーソナリティーと一致する役柄だったと思えるのだ。

◆「理解されないこと」が救いになる

©2022「窓辺にて」製作委員会
 本作の意義は、「あきらめる」「挫折」「後悔」といった、一見ネガティブな言葉を、ポジティブな考えに変えてしまうことにもある。もっと言えば、「それらの言葉が出てきたのは、それまで誠実に向き合った証拠だよ」と教えてくれるような優しさがあったのだ。

 さらに、劇中には「理解なんかされないほうがいいことも多いよ。期待とか理解って時に残酷だからさ」というセリフがある。その時点ではネガティブにも聞こえるのだが、その「誰かに理解されない」こともまた、「救い」と言えるほどのポジティブな価値観へと展開していくことになる。

 そして、見事としか言いようがないのがクライマックスおよびラストだ。もちろんネタバレになるので詳細はいっさい書けないが、今までの会話で積み上げた伏線が集約され、静かだが確実な変化が起こっていることに、たとえようもない感動があったのだから。

 誰かと悩みや人生について長く話し合っていて、自分とは違う価値観を知り、それが一生の財産になることは現実でもあるのかも、と思わせてくれるのも本作の意義だろう。それでいて、ひとつの答えを押し付けたりはしておらず、観客それぞれが映画から受け取れるメッセージも異なってくるバランスも見事だった。

◆タイトルのイメージは「静かな肯定」

©2022「窓辺にて」製作委員会
 最後に、『窓辺にて』というタイトルについての、今泉力哉監督の言葉を記していこう。

「窓の外から光が差すシーンがいくつも出てきます。我々がどんな選択をしても、窓辺の光はいつも同じくそこにあって、照らしたり温めてくれたりする。静かに肯定してくれる。そういうイメージで私は(『窓辺にて』というタイトルを)捉えています。ただ、そこも観る人によって、それぞれの意味で捉えていただければいいなと思います」(プレス資料・今泉力哉監督『窓辺にて』オフィシャルインタビューより)

 劇中の多くの会話劇で、登場人物たちは窓辺にて、会話をすることで救いを得たりもするし、そこを照らす光は静かに肯定してくれる。本作を表すのに、これ以上のタイトルはないだろう。これからは日常のなんでもないようなことから、もっと幸せを得られるような気がする……そんなふうに、世界が違って見える映画を観たい人に、強く本作をおすすめする。

<文/ヒナタカ>

【ヒナタカ】

「女子SPA!」のほか「日刊サイゾー」「cinemas PLUS」「ねとらぼ」などで映画紹介記事を執筆中の映画ライター。Twitter:@HinatakaJeF