吉沢亮が、フジテレビドラマの金看板「月9」に、初出演にして初主演を果たした『PICU 小児集中治療室』が、毎週月曜日よる9時から放送されている。

『PICU 小児集中治療室』公式サイトより
『PICU 小児集中治療室』公式サイトより
 吉沢が扮するのは、北海道の病院に新設された小児集中治療室・通称PICUに転属された半人前の小児科医・志子田武四郎。現実の医療現場の問題が反映さた最新医療物ドラマで、彼は錦を飾ることができるのか。

「イケメンと映画」をこよなく愛する筆者・加賀谷健が、“水もしたたるいい男”としての吉沢亮がとことん引き立つ本作の描き方を読み解く。

◆視聴者を釘付けにさせる優雅な力技

 吉沢亮。この涼しげな名前の響き。名前に決して負けない、この涼しげな顔立ちと佇まい。これから小児科医になろうとする主人公・志子田武四郎が、山間の水辺にボートを浮かべて、オールを漕ぐ表情には、汗ひとつしたたらない。武四郎がボートを陸地に引き上げようとすると、彼のボートだけが水辺に押し戻され、彼の身体は浅瀬に投げだされる。

 幼馴染みの涌井桃子(生田絵梨花)、矢野悠太(高杉真宙)、河本舞(菅野莉央)の3人とじゃれ合って、水を掛け合っても、なおのこと、水滴のひとつも武四郎の顔を濡らそうとはしない。水がまるで吉沢亮を避けているかのように。水がしたたらないとしても、吉沢亮は、いい男だということだろうか。

 舞台は、北海道。北の大地に青空が大きく広がり、畑の間に道路がまっすぐ伸びている。ボートから今度は自転車に乗り換え、友人たちより前を走っていた武四郎が、ふと立ち止まって振り返る。北海道の秋の空気は澄み切っている。吉沢の吐息が艶(なまめ)かしく、画面から伝わる。

 彼は、一台の車が来るのをみつめ、後部座席で汗だくになって苦しい表情を浮かべるひとりの少女を見送る。彼の涼しげな視線。吉沢がまとう俳優としての特性をここまで印象づけながら、第1話冒頭から、視聴者をすぐに物語の世界へ釘付けにさせる。そんな吉沢の優雅な力技だ。

◆若手きっての実力派として

『オオカミ少女と黒王子』DVD (ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント)
『オオカミ少女と黒王子』DVD (ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント)
 吉沢は、意外にも本作が「月9」作品初出演で、しかも初主演だという。日本のテレビドラマの視聴率低迷が叫ばれる中、例外的に高視聴率が期待できる医療物で、初主演を飾るあたり、鳴り物入り感は否めない。鳴り物入りとは言っても、フタを開けてみたらこれはちょっと残念な作品とはならない。いやそうはさせないのが、実力派・吉沢亮の本領発揮と映る。

 ここで映画界での吉沢の大活躍を振り返っておくと、彼の俳優としての正確無比なスタイルは明らかとなる。山﨑賢人が少女漫画を原作としたいわゆる「きらきら映画」に立て続けに主演していた頃、二階堂ふみと共演した『オオカミ少女と黒王子』(2016年)で吉沢は、山﨑が演じたイケイケな王子様キャラとは対照的に、何とも頼りないオタク男子役を好演した。でもひとたびメガネを外せば、そりゃ容顔麗しいイケメンフェイスの輪郭が浮き上がっていたのは無理もない。

 実際、同作公開当時に二階堂が命名した吉沢の異名は、「平成のアラン・ドロン」だった。フランス映画界の至宝アラン・ドロンは、古今東西、今も昔も美男子の代名詞的存在。

 その名を引き合いにだされた吉沢は、つまり日本一のイケメンの称号を与えられたも同然。国宝級イケメンとしはすでに殿堂入りを果たしてもいる。今年の夏に封切られた『キングダム2 遥かなる大地』(2022年)の前作『キングダム』(20195年)では、一人二役を演じ分けながら、中華を統一する王になるべく助演ながら孤高の存在感を放っていた。同作での演技力が評価され、ブルーリボン賞と日本アカデミー賞で助演男優賞を受賞。若手きっての実力派としてスクリーン上に深く印象づけた。

◆イケメンフェイスの小児科医

 2021年には、大河ドラマ『晴天を衝け』で主演を務める快挙を成し遂げた吉沢の存在感が、こうして新しいクールのドラマでも健在なのは、冒頭場面でみた通りである。

 ボートや自転車に乗っていた頃の武四郎は、2019年の大学卒業間近。物語は、2022年となり、小児科医として丘珠病院に配属され、患者からも同僚からも評判はまずまず。こんなイケメンフェイスの小児科医なんて、実際にはみたことがないと言えばそうなのだけれど、日本の医療現場にとって差し迫った現実問題が、物語の核となる。

 北海道知事の鮫島立希(菊地凛子)から直々に頼まれ、その分野のスペシャリストである医師・植野元(安田顕)が、丘珠病院にPICU(小児集中治療室)を新設する。

 そこへ栄転だと張り切って転属してくるのが、武四郎だった。ところが、集められたのは、植野と武四郎の他、ワケアリ救命医・綿貫りさ(木村文乃)と口うるさく忙しない看護師・羽生仁子(高梨臨)しかいない。医療現場の人手不足という現実問題が落とし込まれたドラマ空間で、吉沢扮する武四郎は、イケメンフェイスというだけでいったいどう立ち回るのだろうか?

◆感傷的な場面を演じる上で

 武四郎は、生と死について考えることを避けているところがある。幼い頃に父親を亡くしたことが原因なのかもしれないが、医師としては致命的である。PICUに転属され、数日が経った頃、小児患者が緊急搬送される。武四郎の頭には、2019年のあの日、後部座席で苦しんでいた少女の姿が浮かぶ。彼女は、朝ドラの人気子役だった。まだ医者として半人前の武四郎は、過去の記憶と現実の状況がトラウマ的にリンクする。

 緊急措置が施される現場で、彼は、何もできず、ただ立ち尽くすばかり。声を振り絞る少女に耳を近づけるが、吐血した血を浴びる。顔半分が鮮血で染まった武四郎は放心状態で身体が固まる。まるで洗い上げられたように真っ白な吉沢の表情が、息詰まる現場の過酷さを突きつけてくるような、そんな緊迫感のある場面である。

 植野の懸命な措置もむなしく、少女は息を引き取る。幼い命が目の前で失われ、否が応でも死を間近で経験した武四郎は、そのあとのミーティングでひとり涙する。

 淡々とミーティングを進める先輩医師を叱責するように発言する武四郎のことを新米医師の弱さとみるべきかどうか。そこで植野が武四郎に言う。「亡くなったから話すんです」と。人間の死というものは、残された人たちの心に深く響く。医療物にはありがちな感傷的な場面を演じる上で、場面自体が湿ってしまうぎりぎりのところで、吉沢は、感情を振り絞り、また同時にコントロールしながら、この場面に臨んでいる。吉沢の演技を受けた安田もまた鼻をつまみ、涙をこらえる演技が滋味深く映った。

◆やっぱり、水もしたたるいい男

 吉沢にしろ、安田にしろ、ミーティング場面の直後に登場する老医師・山田透役のイッセー尾形にしろ、芸達者な俳優にとってさえ、重責のある医師役を誠実に演じることは難しいことが、本作をみているとよくわかる。そこで吉沢の場合、身体的な特性(外面)と感情の演技(内面)とのうまいバランスを見いだしているように思う。武四郎がPICUに転属された理由が植野の口から明かされる第1話のラスト、2019年時点の武四郎が水の中に入っていき、自分から顔に水をバシャバシャかけて濡らす姿が切実に映るのだ。

 第2話では、水を浴びる吉沢の姿がより強調されている。武四郎は、幼馴染みたちとかに鍋を囲み、母・志子田南(大竹しのぶ)から愛情深く励まされ、しゃきっと気持ちを入れ替えようと、洗面台に向かって顔を洗う。水もしたたる吉沢亮。と、つい呟きたくなるのは、吉沢亮の代名詞は、水もしたたるいい男であり、逆に水もしたたるいい男は吉沢亮のみを意味しているからだ。

 次に運ばれてきた小児患者は、火傷を負った姉弟だったが、幼い姉との交流を通じて武四郎は、命と向き合いながらも大きな失敗をしてしまう。深く落ち込んだ武四郎が、浴槽で前かがみになって顔をお湯につける。画面には彼の背中しか映らない。吉沢の真っ白な背中を俯瞰する画面をみて、何だか不思議な時間が流れる。武四郎がそこから立ち直れるのか、どうかはあまり問題ではない。ただ、その背中が訴えてくるもの。この洗い上げられた美しい白さをみて、ああ、やっぱり吉沢亮は、水もしたたるいい男なんだと思わず納得するのだ。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】

音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。

ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu