乱暴な振る舞いをしているわけじゃないのに、体格の良さや格闘技を習っている事実で一方的に「ヤンキー」なんてレッテルを貼られたら、悲しいですよね。
「ろくに話もせず私のことなんて何も知らないのに、アイツは不良で誰それと喧嘩したみたいな噂を流して勝手に盛り上がる人たちが本当に嫌でした」と昔を振り返る安井美知子さん(仮名・36歳)は、自分の意思とまったく関係ないところで決まる評価に辟易(へきえき)していたそう。
その「勝手に作られた過去」が就職してからも仕事や人間関係に影響し、つらい思いをします。
一方で、それでも顔を上げて生きる安井さんを正しく見てくれる人もまた、存在しました。
ヤンキーと言われてきた安井さんの過去と現在について、ご紹介します。
◆転校先でいじめに遭い、階段から突き落とされる
家庭の事情で転校を余儀なくされた安井さんが、新しい環境になかなか馴染めず、友達ができなかったそうです。
「うちは母子家庭で、父親は私が小さい頃に暴力が原因で離婚したと母親から聞かされています。離婚してから母はこの地元に戻ったのですが、まともに働けるところがなくてお金に困っており、転校先の小学校では『いつも同じ服を着ている』『こんなボロボロの筆箱を使っている』とからかわれていました。
そのうちいじめられるようになって。ハンカチを捨てられたりランドセルをゴミ箱に入れられたり、すごく悲しかったけれど母親には言えなかったですね……」
毎日朝早くからスーパーの仕事をがんばってくれている母親を見れば、新しいノートがほしいことも、破れた上履きを買い替えたいことも、なかなか言い出せません。
そのせいで学校では「貧乏人」と言われ続け、ついにはほかのクラスの男子生徒に階段から突き落とされる事件が発生します。
◆貧しい生活の中…母は、私を空手に通わせ始めた
「学校に呼ばれそのときになって私の状態を知ったお母さんは、男子生徒の親がまともに謝罪しないことに明らかに腹を立てていて、家に帰ってから『あんな人間に負けない子になりなさい』と私に空手を習うように言いました」
生活費はまだまだ苦しいはずなのに、すぐに近くの空手道場に入会してくれて、母親に言われるがまま、安井さんは通うようになります。
◆どんどん筋肉がついて、心身ともに変わっていく自分
空手は好きでしたか、と尋ねると「最初は痛いしつらいし、何でこんなことをしているのだろうと思うときもありました。でも、武道のマナーや礼儀を知り、向き合う相手を大切にすることを何回も教えられるうちに、『私をいじめる人はこんなことも知らないのだ』と突き放せるようになりましたね」と、安井さんは静かな口調で答えます。
いじめてくる同級生たちを冷めた目で見ると同時に、成長期だったこともありどんどん筋肉がついていく体は、安井さんの自信になったそうです。
「お母さんが、お腹をすかせて帰ってくる私のためにたくさんご飯を作ってくれたのを思い出します。いま考えたら、道場の月謝に食費に、お母さんは本当に大変だったと思いますね……」
そして、母親からは何度も「空手で相手をやっつけてはいけない。他人に暴力を振るうのは絶対にダメ。身を守るときに使って」と言われました。
道場でも同じことを聞かされていた安井さんは、すっかり好きになった空手を大事にするためにも、貧乏を馬鹿にしてくる同級生たちは無視して鍛錬(たんれん)に励みます。
◆気づけば陰で「怖い人」とささやかれるように
中学校では空手の大会で上位に立てるようになり、小学校時代のいじめっ子たちは「だんだん遠ざかっていった」そう。
体格が良く武道をたしなむことが知られた安井さんは、気がつけば「強い人」「怖い人」と陰でささやかれるようになりました。
「田舎だし、女子で空手の大会に出る人はいなかったので、目立ったと思います。でも、道場で教わった礼儀などがよかったのか、先生に褒められることが増えて同性の友達に恵まれたのはうれしかったです」
小学校時代とは違い、楽しい学校生活を送れたと話す安井さんですが、現実はまた、望まない状態を連れてきます。
◆仲良しの女子が他校の不良に絡まれた
無事に公立の高校に進んだ安井さんは、空手を続けて勉強にも励んでいましたが、
「困ったのは、私の体格や空手をしていることを目当てに女子が頼ってくることでした。ほかの高校のちょっと怖い男子生徒が校門にいたら一緒に帰ってほしいとか……それだけならまだしも、別の高校の誰それをやっつけてほしいとか、無茶なお願いをしてくるんですね。
空手は暴力のために習っているのではない、とそのたびに説明して逃げていましたが、あるとき仲良しの子が不良が多くて有名な男子校の生徒に絡まれてしまって……」
「待ち伏せされるから、帰るのが怖い」と怯える友人のために、このときばかりは同行したという安井さん。何かされたら撃退しようというのではなく、「体格のいい私と一緒なら近づいてこないだろう」と思っていたそうです。
裏道で本当に待ち伏せしていたその男子生徒たちに囲まれたときが、運命の分かれ道でした。
◆「他校の不良を倒した女ヤンキー」として名前が広まる
「肩をつかまれたので、とっさに身をよじってかわしたら相手が転んでしまって。緊張していたせいか、空手で相手と向き合うときのように構えてしまい、それを見た男子たちはヤバいと言いながら逃げていきました」
何事もなく終わったものの、次の日から安井さんの名前は「他校の不良を空手で倒した女子」として広がります。
実際は空手なんか使っていないけれど、一緒だった友人が大げさに安井さんを褒め称えたことも、周囲にとっては「手を出したらまずい女子」と思われる原因でした。
「お母さんにこのことを話したら、こっぴどく叱られました。友達についていくのはいい、でも不良に絡まれたらまず逃げるのが正解と言われて、自分なら何とかできると思っていたことに気がついて。本当に反省したし、それからは誰に何を言われても首を突っ込むのはやめました」
噂は独り歩きして、体格の良さが目立つ安井さんは「ヤンキー」と陰で言われるようになります。
不良と思われることは何もしていないのに、たった数分のことが安井さんの印象を変えてしまいました。
◆変なレッテルのせいで就職してからも孤立
本当の問題は、高校を卒業して就職した地元のスーパーで起こりました。
高校の推薦もあり無事に入ることができた会社でしたが、そこには高校の同級生がいて、安井さんについて「他校の不良をやっつけたヤンキーだった」「すぐ暴力を振るうから誰も近づけなかった」など、根も葉もない噂を流したのです。
「そんな話が出ていると同僚から聞かされて必死に否定したのですが、空手で段位を取り大会でも優勝していることや大きな体のせいで、『やろうと思えばできるもんね』と返されたのが悲しかったです。上司にも噂はまったくの嘘だと説明しましたが、そんなことを同級生に言われる人間というだけでマイナスですよね……」
◆これからは私がお母さんを助ける番なのに…
入社して半年も経たないうちに孤立してしまった安井さん。
それでもめげず毎日出社して仕事をがんばったのは、お母さんへの恩があったから。
「何よりも、ここまで育ててくれたお母さんに申し訳なかったです。空手を続けさせてくれて生活も支えてくれて、これからは私がお母さんを助ける番だと思っていました」
周りのおかしな目は気にしても仕方ないと割り切り、それよりも自分の業務をミスなくこなすことに日々集中していたそうです。
空手で学んだ心の持ち方は、このときも安井さんの支えでした。
そんな安井さんを遠巻きに見る人のなかに、ある男性がいました。
◆丁寧な仕事ぶりを見ていた他部署の男性
別の部署で働く年上の男性から「お疲れさま」と声をかけられたときのことを、安井さんは今でも覚えています。
「仲良くしてくれる人はいるにはいたのですが、やっぱり過去についてあれこれ聞いてくるのがストレスで、会社ではひとりで過ごすことが多かったんです。お昼休みはお弁当を食べたらいつも外の非常階段にぼーっと座っているのですが、わざわざそこまで来て声をかけるような人、今までいなかったですね」
男性は、自分の部署と名前を告げてから「いつも品出しが終わってから、外のカートをきれいにしてくれていますよね。みんな業者がやるからって適当に放置していくのに、あなただけが毎日揃えてくれているのを見ていました」と、缶コーヒーを差し出します。
それは自分がいつも飲んでいるものだと気がついて、安井さんは慌てて「ありがとうございます」とお礼を言ったそうです。
◆思わず涙してしまった「ひと言」
「外見は普通だけど姿勢が良くて、私をまっすぐに見てきたのを覚えています」と安井さんは振り返りますが、「私は体力があるので、あれくらい何でもないです」と答えたら「空手をされていると聞きましたが、何年くらいやっているのですか?」と丁寧に質問してくる姿に今までにない新鮮な感情を覚えます。
それから、9歳から空手を始めたことや大会で優勝したことなどを話し、「こんな人は今までいなくて気が緩んだせいと思うのですが、高校時代のあの件でおかしな噂が流れていることに、つい触れてしまったんですね」本当はこうだったんです、と話したら、その人が「あなたは何も悪くないじゃないですか。友達のためだったのでしょう、あなたはいい人だ」ときっぱりした口調で口にしたそう。
「会社の人に初めてそんなふうに言われて、もう胸がいっぱいになって。涙が出ましたね」
それが、のちに結婚することになる彼との出会いでした。
◆気がつけば休みの日にデートする間柄に
男性とはその後もいい関係が続き、お昼を一緒に食べて非常階段でいろんな話をするのが安井さんの日課になります。
安井さんとはまったく別の業務についているその人と、「お互いの状態について話すのも勉強になるし楽しかった」と安井さんは振り返ります。
LINEのID交換を男性から提案され、それからは仕事が終わってからもやり取りが増えて、気がつけば休みの日にデートする間柄に。
「私の体格や噂のことなど、全然気にしないんです。私と仲良くするから会社でまた変な話が出ていたのですが、知っているはずなのに言い出さないところとか、すごい人だなと思っていました」
◆私の人生にこんなことが起こるなんて
それぞれの家庭環境なども隠さずに話すことができて、ずっとがんばってくれた母親のことを「大事にしたいですね」と言ってくれることも、安井さんにとって大きな信頼を寄せる姿でした。
男性に告白されたときは「信じられない気持ちでいっぱいでした」と話す安井さんでしたが、自分もとっくに好きになっていたのでOKし、お付き合いが始まってからはすぐに結婚の話が出ます。
「まさにとんとん拍子という感じで、私の人生にこんなことが起こるなんてとしばらくは怖い気持ちがありました。でも、お母さんは『お前がちゃんと生きてきた証拠』と言ってくれて、泣きながらありがとうと返していましたね」
プロポーズを受けてからふたりで安井さんのお母さんの元に向かい、三人で楽しく食事ができた時間は、今も幸せな思い出だといいます。
◆見た目や噂で人を判断しないことの大切さ
彼と無事に結婚し、今はふたりのお子さんを持つ母親となった安井さん。
「体型や噂で人を判断せず、中身を見ることの大切さを彼から教わったと思います。私のことを誠実だと言ってくれる彼も誠実だと私は思うし、一緒に歩いていけることが本当に幸せです」
「ちゃんと生きてきた」からこそ訪れる、まっすぐに愛情を向けられる人との出会い。
信頼できる人の存在がどれほど貴重でありがたいものか、安井さんは子どもたちにもしっかり伝えていきたいと話します。
―シリーズ「ヤンキー・ギャル・コギャル」―
<文/ひろたかおり イラスト/やましたともこ>
【ひろたかおり】
恋愛全般・不倫・モラハラ・離婚など男女のさまざまな愛の形を取材してきたライター。男性心理も得意。女性メディアにて多数のコラムを寄稿している。著書に『不倫の清算』(主婦の友社)がある。