イタリア在住ライターのゆきニヴェスです。私の働く隠れ家のような郊外の高級ヴィラでは、世界中からのカップルがそれぞれの恋愛物語の1ページを刻んでゆきます。今回お届けするのは、皮肉にも映画のように美しく切なかった失恋シーンです。
◆ヴィラの近くに住む彼女に大都市から会いに来た彼
ハネムーンや結婚記念日、誕生日など特別な日の利用も多いヴィラですが、別れの場になったこともあります。
彼女は地元の20代で栗色の長い髪がよく似合うスラッとした美人。遠方の大都市から電車でやって来た同世代の彼を駅まで車で迎えに行き、ジュニアスイートに一泊しました。
チェックイン後にはゆったりとスパを利用していましたが、そこに他の客はおらず、貸し切り状態。ジャグジーでボコボコと出てくる泡を楽しむ2人の様子はごく普通の恋人同士であり、まさかこれが最後の夜になるとは微塵も感じませんでした。
◆他の客もあぜん!朝食ラウンジで突然のケンカ
しかし、翌日の朝食時に人目もはばからず口論が始まります。
「ようやく弁護士になれたんだ。今が一番大事なときだから仕事に集中したい。ここまで会いに来る時間もないし、君のことを考えられない。ごめん」と彼。
盗み聞きはしたくありませんが、聞こえてきてしまいます。
「そんなのただの言い訳。たった3時間の距離で何よ。私が会いに行くことだってできる。絶対に他に誰かいるんだわ。だったら、はっきりそう言いなさいよ」
真っ赤に目をはらした彼女の表情は悲しみよりも怒りに満ち、納得できない!といったような鋭い目つきでこう返します。
ブッフェで行き来する他の客も、つい近くを通るのをためらってしまうほどの勢いです。
「そうじゃないんだ、本当に」男性は否定していますが、遠距離恋愛にありがちな二股なのかもしれません。どちらにせよ、女性への愛情がない、ってことには変わりないでしょう。
「君は僕にとって大切な存在だし、これからも良い友人でいられればと思うんだけど…」と彼は続けます。
出た、このパターン。友人としての関係を続けていくことが女性を喜ばせるとでも思っているの?と言ってやりたくなる、ありきたりの流れです。ここで彼女はしばらく黙り込み、エスプレッソを一気に飲むと、食べかけのクロワッサンを残して朝食ラウンジを出て行ったのでした。
◆思い思いに過ごす2人
その後、彼女はテラスやプール、スパ、と移動しながら自由に過ごしています。一方の彼はスーツを着てラウンジでオンライン会議に参加。時折、私から水やコーヒーを差し出すことはあっても、朝の言い争いを見てしまったせいで目を合わせられず、なんとなくやりにくい雰囲気が漂います。
正午になって男性が全てを支払い、事実上のチェックアウトを済ませてからもスパにとどまったこの2人。ジャグジーを使用することもなく、ビーチチェアに寝転がって本を読んだりスマホを操作したり、思い思いに過ごしています。
そんな折、ふと気づくと、ラウンジに2台あるはずのワイヤレス式ポータブルスピーカーが1台ないではありませんか。「えっ盗まれた!?探さなきゃ…」と思ったのも束の間、流れていたリラックス系のジャズが止まると、いきなりハスキーな女性の歌声が聞こえてきました。
◆ラウンジに流れ出した失恋ソング『あなたを待っているわ』
「あなたがこの列車に乗っていたらいいのにって願ってしまう。もし乗っていなくても私は待っているから~」
イタリアの女性シンガー、アレッサンドラ・アモローゾの失恋ソング、Ti aspetto『あなたを待っているわ』が、誰かのスマホから勝手にブルートゥース接続され、ヴィラのスピーカーから流れ始めたのです。
果たして、女性からのこのさりげないメッセージは男性に届いているのでしょうか。今となっては知る由もありませんが。
◆切なすぎる長いハグの末、別々の帰路へ
結局、夕方まで2人で最後の時間を過ごした後、男性の方は駅までのタクシーを呼んでほしいと受付係の私に頼んできました。通常、タクシーの到着までは数分。とうとう別れのときです。
あっという間に10分ほど経ち、タクシーの到着を伝えに行くと、そこにはぎゅーっとハグをする2人の姿。涙の止まらない女性をなだめる男性に声をかけるのも申し訳なく、切なすぎて近くで見ていることにも罪悪感を抱いてしまうような。そこに夕方の光が絶妙に差し込んでいて、つい「しばらくそっとしておきたい…」と思ってしまうような、そんな悲しくも美しい光景だったのでした。
男性が去った後、女性はヴィラの庭に座ってぼーっと過ごしていたため、私はカモミールティーに小さなビスケットを添えて彼女の下に置きました。一説に、心の落ち着きを与えてくれるというハーブティーです。
◆最後の思い出作り?それとも手切れ金の代わり?
私は内心、彼を駅まで送らなかった彼女を見てホッとしていました。フラれても良い人を装ってしがみつくのではなく、突き放す道を選んだ彼女に「拍手を送りたい」と。そういう心境ながらも、あえて私から客の私情に触れることはなく、ハーブティーはせめてものサービスです。
それにしても、男性にとって高級ヴィラでの宿泊は、最後の思い出作りだったのでしょうか。それとも手切れ金の代わり?罪滅ぼし?別れ話をするために遠くから会いに来て、一緒に一泊してから別れるなんて。それが彼なりの優しさだったとしたら、より罪深いなと感じたものです。
<文/ゆきニヴェス>
【ゆきニヴェス】
脱サラを機にヨーロッパ中を旅し、ワイン好きが高じてイタリアに住み着いた自他ともに認める自由人。フリーライター及び取材コーディネーターとしても活動中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員