『マイ・ブロークン・マリコ』が9月30日より公開されている。本作は平庫ワカによる同名漫画の映画化作品。亡くなった親友の遺骨を強奪し、ある場所へ旅に出る女性の物語が、85分というタイトな上映時間で綴られている。

(C)2022映画『マイ・ブロークン・マリコ』製作委員会
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 主演の永野芽郁が後述する、良い意味で極端でもある役を熱演していることも見所。そして、ここでは何よりも窪田正孝を推したい。表面的には地味にも思える役柄ながら、窪田正孝の存在感とポテンシャルを最大限に生かした、いちばん好きなタイプの窪田正孝を具現化したような、記憶に強く残るキャラクターを演じていたからだ。

◆とてもいいヤツで、かつ複雑な役

(C)2022映画『マイ・ブロークン・マリコ』製作委員会
 今回の窪田正孝が演じる、主人公が旅の道中で出会うマキオという青年は、初めこそヒゲが無造作に生えていて、少し伏し目がちで暗いオーラを常に放っている、下世話な言い方ではあるが「陰キャ」まっしぐらなキャラクターにも思える。だが、とある困った状況に置かれた主人公のために、荷物が盗まれないようにずっと待ってくれたりもする、端的に言ってとてもいいヤツだとすぐにわかるのだ。

 その様は、ドラマおよび映画『HiGH&LOW』シリーズや映画『初恋』(2020)における、不良性と優しさを持ち合わせている役にも少し似ている。それ以上に、不器用に思えるからこその親しみやすさがある一方で、どこか影を感じさせ近寄り難い印象もある(実際に彼にはある暗い過去がある)。

 さらに、表面的には厭世的でぶっきらぼうにも思えるが、実は言動そのものは真摯というギャップもある。窪田正孝は独特の色気を放ちながらも、そのようにあらゆる面でアンビバレント(相反することが同居している)で複雑な役柄を、極めて自然かつ見事に演じ切っており、もう惚れ惚れとするほどだったのだ。

◆ちゃんと傷ついた人の、説得力のある言葉

(C)2022映画『マイ・ブロークン・マリコ』製作委員会
 タナダユキ監督も、マキオが原作からとても好きなキャラクターだと語っており、彼を演じた窪田正孝を「ちゃんと傷つき、それでも生きてきた人だからこそ言える言葉を、マキオとして確かに紡げる人だった」と絶賛している。

『ふがいない僕は空を見た』(2012)と『ロマンス』(2015)でも窪田正孝とタッグを組んでいたタナダ監督は、今回の久しぶりの撮影で「普段は気さくなにーちゃんだけど、芝居に関してはいつだって自分のことを疑える、真摯な姿は昔とまったく変わらなかった」という印象も持ったそうだ。その変わらない生真面目さが窪田正孝というその人にあるからこそ、深く傷ついたことのある、朴訥(ぼくとつ)で繊細な役を、説得力をもって演じることができたのだろうと納得できた。

 その窪田正孝演じるマキオは終盤で、「喪失感」を抱えた人にとって、福音となるかもしれない、優しい言葉を投げかけてくれる。「友人を見送ったことがある」タナダ監督自身も、その言葉に救われた思いがしたのだそうだ。その役に、これ以上なく真摯に向き合った窪田正孝が口にするからこその、真実味と優しさが溢れた言葉を、ぜひ噛み締めてほしい。

◆永野芽郁はガラの悪い役にも合う

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 本作の目玉は、やはり永野芽郁が主演を務めていること。彼女が演じるのは、親友を「ダチ」と呼び、ブラック企業に勤めつつはっきりと上司に文句も言ったりする、なかなかガラが悪い人物だ。

 彼女は親友を虐待していた父親からその遺骨を強奪し、そして「感情のまま泣き叫んだりする」かなりの激情家でもある。これまでの永野芽郁のイメージとも異なるが、逆に言えばこれまでの可憐だったり真面目な印象があるからこそ、今回の感情を顕にする様が際立って美しく、そして愛おしく思えるのではないだろうか。永野芽郁がタバコをくわえたりもする、不良性のある役にも合うという意外性そのもの、新しい彼女の魅力を知りたいという人も必見だ。

 また、亡くなった親友を演じる奈緒も、『君は永遠にそいつらより若い』(2021)の変人な女子大生に通じていながらも、それよりもさらに痛ましい、タイトルさながらの「壊れてしまっている」女性を見事に演じていた。口が悪いが根は優しい女性と、彼女が心の拠り所になっている危うい親友という関係性も、とても切なく、またかけがえのないものとして映るだろう。

◆タナダユキ監督の作家性と、原作に惚れ込んだ理由

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 タナダユキ監督は、『マイ・ブロークン・マリコ』の原作を読み終えてすぐにプロデューサーに「映画化したい」と電話で頼み込んだという。そして、出来上がった映画は、基本的には原作漫画に忠実でありながら、驚くほどにタナダユキのこれまでの作家性と一致する内容になっていた。

 そのタナダ監督は、脚本家が別の人だったとしても、ほぼ一貫して人生における「どうにもならなさ」を描いてきた。自分の力ではどうやっても解決できない問題が物語の中心にあり、それをどうにかできなかったとしても、それでもなお残る、願いの尊さや、希望を提示してきたのだ。

 それを鑑みれば、タナダ監督が自身の作家性と一致する、しかも「親友の死」という、これ以上ないほどの「どうにもならなさ」を描いた『マイ・ブロークン・マリコ』に惚れ込んだ理由がよくわかるし、だからこそ実際の映画でも原作のエッセンスを余すことなく抽出できたのだろう。することに成功していたのだろう。

 そして、タナダ監督は、永野芽郁演じる主人公のシイノと、奈緒演じる親友のマリコの関係性について、「ふたりとも、何の罪もない」「マリコは特に、ひどい環境に置かれたばかりに、周りの人間から『こぞって弱さを押し付けられた』」と語っている。綺麗事では解決できない、その悲しい関係性と、親友の死という事実に、どのように折り合いをつけていくのかを、ぜひ見届けてほしい。原作とタナダ監督が提示した優しさを、前述した窪田正孝が口にする言葉もあいまって、ストレートに感じられるはずだから。

◆意外に笑える作品でもあった

(C)2022映画『マイ・ブロークン・マリコ』製作委員会
 最後に、この『マイ・ブロークン・マリコ』の、もう1つの大きな魅力を挙げておこう。それは、ひとえに「笑える」ということ。前述してきたように物語の根底には「親友の死」があるのだが、意外にコメディシーンも多いこともあって、あまり重くなりすぎずに観られる作品にもなっているのだ。

 タナダ監督作では『ロマンスドール』(2020)でも、不測の事態をなんとかしようとする高橋一生ときたろうのやりとりが、良い意味で秀逸なコントのようになっていて大笑いさせてくれた。今回は永野芽郁演じる主人公の口の悪さがとにかく面白く、「過剰に感情を表出させてうさんくさいセールスする」様は原作の再現としても完璧だった。

 さらに、朴訥とした窪田正孝と、その破天荒な永野芽郁のやり取りそのものが、シュールな漫才になっているようにも見えて、そこにもまたクスクスと笑ってしまう。特に終盤の「別れ」のシーンで、原作にはない、観客も思うであろう「ツッコミ」を窪田正孝がする様が最高だったので、彼のファンは特に聞き逃さないでほしい。

<文/ヒナタカ>

【ヒナタカ】

「女子SPA!」のほか「日刊サイゾー」「cinemas PLUS」「ねとらぼ」などで映画紹介記事を執筆中の映画ライター。

Twitter:@HinatakaJeF