娘で俳優の安達祐実さんを育て上げた「天才子役の母」として知られる安達有里さん(65)。ヌード写真集や官能ムービーDVDへの出演でセンセーショナルな話題を呼んだこともありました。祐実さんを含めた三人の子育てを終えた今、彼女はどのように生き、あの時代をどのように回顧するのか、話をうかがいました。
◆洋服が欲しくて子役に応募
――祐実さんを子役としてデビューさせたきっかけは何だったのでしょうか?
安達有里さん(以下、安達)「正直、最初の旦那さんとの結婚が上手くいっていたら祐実を子役にはしていなかったと思います。とにかく性格が合わなかったんですよね。そんな中で自分自身が楽しいと思うことがしたくて、子どもの服を手作りするハンドメイドの雑誌を読んでいたんです。そこに読者モデル募集の記事を見つけて、読モになれたら洋服が貰えるって書いてあったから……」
――えっ、洋服を貰うことが目的だったんですか?!
安達「はい。本当に服が欲しかっただけなんですよ(笑)。祐実を凄い子役にしようなんて気持ちは微塵もなかった。むしろ、いつ辞めさせたらいいのかなとも思ってました。今は仕事があるけど、そのうち本人はやりたいのに仕事がないって状態になったら可哀想だなぁと。でも、結局そうはならなかった」
◆辞めたければ辞めてもよかった
――子役としての人気はうなぎ登りでしたもんね。辞めさせるタイミングが見つからなかった、と。
安達「少し考えたのは、祐実が10歳くらいの時でしょうか。私が再婚をして一番下の子を妊娠中で現場への送り迎えや仕事のやりとりが難しくなってしまって。そこからはサンミュージックさんにお世話になることになって、全てお任せできたので祐実の芸能人生は続くことになりました」
――祐実さん自身から辞めたいと言われたことはなかったのですか?
安達「私が言われたことはないですね。これは他の人から聞いた話ですが、幼い頃から『通りすがりで安達祐実だと言われるようになりたい』と言ってたらしいですし。きっかけは私だし、あの子を芸能界入りさせた責任はあると思います。でも、辞めたければ辞めてもよかった。私のことではなく、祐実のことだから」
◆娘・祐実さんのいじめを振り返って
――祐実さんが『家なき子』(1994年・日本テレビ系)に出演されていた当時、学校で上履きを隠されるなどのいじめがあったと後にテレビ番組で告白しています。その時にはどのような対処をされたのですか?
「そんなこともありましたね。上履きがないと困るので、それをじゃあどうするっていうこということで、学校に『外履きのままで授業を受けてもいいですか?』と相談に行きました。職員室で上履きを預かってもらって、毎朝そこで履き替えることなったと思います。犯人が誰かということよりも、上履きがないと困るので、そこさえ解決すればとりあえずいいかなとその当時は思っていました」
――祐実さんはその後も学校で孤立されていたそうですが。
安達「『友達が誰も話してくれない』って言われたので『じゃあ本でも読んでれば?』って答えたと思います。だって、こういうのって相手のあることでしょう? 相手が話してくれないならしょうがないから、一人で出来ることで時間をやり過ごせればいいと思いました。でも学校だけが全てじゃない。死ぬほど辛いなら行かない、転校するっていう選択肢だってありますから」
◆修学旅行の代わりに一緒に京都へ
――修学旅行などの学校行事とかはどうしていたのですか?
安達「修学旅行は参加しなかったんですよね。でも、東京駅の日本各地のお土産が集まっているお店に、その修学旅行先の名産を見に行って、見ているうちに『どうせなら行っちゃう?』って新幹線に乗っちゃいました。そして現地では観光タクシーに乗って名所を色々回りました。あれはあれで楽しかったと思います」
◆いじめは注意しても解決するとはかぎらない、それなら
――結局、いじめ自体は解決することはなかったのでしょうか。
安達「多分…。こう言うといじめられた娘にもっと寄り添ってあげれば? という人もいるかもしれません。もちろんいじめなんかいけないし、仲良くしましょうねなんて幼稚園でも言われてることですよね。でも、いじめの犯人が判明したとして、その子が先生から注意されたとする。その時点で本当にその子が納得したり反省したりするとは限らないじゃないですか。
結局、祐実とその子との間に良い関係性は決して生まれない。だったら、アクションを起こすだけ無駄なこと。祐実が『私は別に話さなくてもいいけど』って精神状態を作ることの方が大事だと思ったんです。無視される排除されるなんてこと、学校以外でもいっぱいありますからね。
難しいことはわからないけど、小さいときから仲良くしましょうね、いじめちゃダメですよって言われ続けることは、きっと人は攻撃的な生物なんじゃないかと勝手に思うんです。じゃなければ仲良くしましょう、いじめるなんて教育する必要がないんじゃなかな」
◆「起こったことはしょうがない」精神で乗り切ってきた
――祐実さんの場合は、芸能界という居場所もあったわけですもんね。
安達「そうですね。でも芸能界だって興味を失われれば同じこと。学校も、芸能界も、他の場所も、全部同じだと思うんです。ただ、そこだけが世界の全てじゃないってことです。こういう考え方は祖母譲りなんですけどね。
私の祖母は『どうしよう』っていうことが起こっても、『起こったことはしょうがない』ってキッパリ返す人でした。『じゃあどうするかを考えたほうがいい。しかもくよくよ悩むだけだったら“下手な考え休むに似たり”。ただ悩むだけで結論が出ないなら考えないほうがいいよ』ってよく言われていました。その血は私にも受け継がれていると思います」
◆ヌード写真集の出版は気が楽だった
――不躾な質問になりますけど、祐実さんが幼い頃に離婚をされて母子家庭になった時はどのように生計を建てられていたのですか?
安達「仕事は友達の事務所でバイトしてました。私は実家も都内にありましたし、母親も当時は現役で働いていたので生活はできてましたね。祐実の子役業で稼ごうとか、考えたことないです。贅沢しなければ普通に生きていける環境だったので」
――でも祐実さんが人気女優になっていく中、有里さん自身も注目を集めるようになりましたよね。2006年にはヌード写真集を出版されました。
安達「ヌード写真集については、祐実のことじゃないだけ気が楽でしたね。どんなことがあっても私が決められる話だし……自分のことっていうのが気楽でした」
◆子どもたちの反応は「ふーん」
――ヌード写真集について、祐実さんや息子さんたちは何と言ってましたか?
安達「写真集を出すことは誰にも言わないでって言われたので、私は家族にも本当に黙っていたんですよ。なぜか中吊りに出ちゃって(笑)。だから、子どもたちもみんなあの中吊りで知ったみたいです。でも、三人ともみんな『ふーん』って感じ。『撮っちゃったならしょうがない』みたいな。そんなに騒ぎになりませんでした」
――まさに、先ほど話にあったお祖母様の『起こったことはしょうがない』精神が祐実さんたちにも(笑)。その後、二冊目の写真集や官能ムービーDVD出演もありましたが、今は表舞台から一線を引いてますよね。
安達「私、芸能活動をしてるって感覚は一度もないんですよ。やはり祐実がいてこその活動だと思ってます。そのあたりからは祐実の娘の面倒を見る機会も多くなって(笑)。それが落ち着いたら実母の具合が悪くなって、2~3年は介護でしたね。しばらくして亡くなって、また落ち着いたと思ったら祐実の二番目の子どもが生まれて……」
◆現在は祐実さんの子育てに協力
――ということは、祐実さんの子育てにはかなり協力されている?
安達「祐実も子育てはちゃんとしてるんですけど、忙しいですからね。私みたいな世代はもう外で働けるバイタリティがない分、そうやって子どもたちの力になれればと思って。家族のグループラインでやりとりしつつ、自分から積極的に働きかけはしない、適度な距離感でやってます」
――かなりの偏見かもしれませんが、子役の母=過干渉というイメージがこれまであったんです。でも、話を聞く限りそういう感じは皆無に等しいですよね。
安達「過干渉のつもりはないけど。祐実に対して『子役をやらせてた』と思う人もいるでしょうけど、私は祐実が嫌がっていたら辞めてもいいと思ってました。でも、私から見てあまりそれを感じなかった。祐実の本心がどうなのかはわからなかったし、今もわからない。でも今それについて言われても、もうしょうがない。今聞いてもどうにもならないので聞きません(笑)」
◆いつも誰かしら家に人がいる環境だった
――実際、祐実さんは女優として成功されてますもんね。
安達「ただ当時、祐実の人気が急激に高まった頃、当時のサンミュージックの常務さんから『祐実ちゃんはみんながいるから祐実ちゃんなんだよ。周りのスタッフの協力も、お兄ちゃんや弟くんが寂しい思いをしているのも含めて』って言われたことがあったんです。これはすごく納得しましたね」
――やはりお兄さんと弟さんは、人気子役の妹(姉)がいてお母さんも忙しくしていることで、何か思うところがあったのでしょうか?
安達「二人からは何も言われたことはないです。あの頃は祖母と母と私の実弟も一緒に住んでいたので、寂しく私や祐実の帰りを待ってたわけじゃなかったから。たまに親戚の叔父さんも一緒に暮らしてたくらいの大家族だったから。むしろ祐実が活躍することを二人とも喜んでたし、尊敬してたところもあったんじゃないかな」
◆子どもはたくさんの人の中で育った方がいい
――なるほど。子育てに参加する大人の数が多い環境だったんですね。
安達「私が子どもたちを怒ったら、おばあちゃんが宥(なだ)めるみたいな役割分担でした。私は子どもってたくさんの人たちの中で育った方がいいと思ってるんです。家族が多いってことではなくて、周囲に見てくれる人がいるような。少なくとも私が育ってきた浅草はそういう街でしたね」
――近年は母親が子育てに煮詰まった挙句に悲しい結末を迎えたり、毒親の問題があったりと、家庭内の問題が社会問題化している気がします。
安達「親ももっと人を頼った方がいいと思います。私のような祖母の立場にだったり、そうじゃなかったとしても、行政に頼るとかもありじゃないかな。その方が子どもたちにとってもいいような気がします」
◆また写真集を出す可能性は「話があれば(笑)」
――今後、有里さんはどんな人生を送りたいと思いますか?
安達「今更何をしたいとかはないですけど、色々楽しいことができたらいいなとは思います。とにかく、人生を楽しむためにも自分に制限はしないのが一番。今日もキャミソール姿ですけど、年齢を理由に着ちゃ駄目だとは思わないんですよ。年齢を重ねることが怖いなんて思うこともあるけど、そんなの今さらしょうがない(笑)」
――もしかして、また写真集を出したり、演技のお仕事をするなんてことも……?
安達「写真集は……ちゃんとどこまでならOKとか話し合ったうえで、出してくれるっていう話があったら考えます(笑)。でも、台詞を覚えるとかはもう無理です。映画だって台詞は一行以下、3つまでって約束で出してもらったんですから」
――その当時の経験を活かして、祐実さんに仕事のアドバイスを送ったりは(笑)?
安達「アドバイスなんてしたことありません! 言えるくらいわかってたら、私が女優として大成功してますよ(笑)!」
<取材・文/もちづき千代子 写真/我妻慶一>
【もちづき千代子】
フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。度を超したぽっちゃり体型がチャームポイント。Twitter:@kyan__tama