『aLORS』ディレクター・AYAさんがパリで作る「ありのままの自分を好きになれる服」

パリに移住した後、根っからの服好きが高じてバイヤーとして活躍するAYAさん。今年、アパレルブランド『aLORS(アロ)』を起ち上げ、新たなスタートを切りました。ドラマティックなブラウスやシンプルで上質なパンツなど、多くの人の心を捉えるデザインは、SNSを通したバイヤー活動によって服好きのフォロワーと交流してきた彼女だからこそ。パリのエスプリが詰まった、一生着たくなる服作りの裏側に迫ります。

AYA

ファッションディレクター。日本で銀行員やフリーランスとして働いた後、2018年、フランスへ移住。パリを拠点にバイヤーとして活躍し、今年、アパレルブランド「aLORS」を起ち上げる。インスタグラムのフォロワーは64,000人に上り、モデルやスタイリストにもファンは多い。冬のコレクションの展示会は、11月9日から伊勢丹新宿店、半ばより梅田阪急で予定。

Instagram:@aya_paris0512

@alors_parisfr

 

言葉の壁を乗り越えてビジネスの基盤を作る

aLORSディレクターAYAさん

―移住したきっかけは旦那さんのお仕事だったそうですが、パリ暮らしはどんなスタートでしたか?

AYAさん(以下、敬称略):私は銀行員として働いた後、フリーランスで営業の仕事をしていました。仕事がすごく好きで、もっと拡大させていきたいという気持ちがあったので、パリで暮らし始めた時は、これまでのように仕事ができなくなることが辛かったですね。

海外で暮らしてみたいという思いもあったのですが、フランス語も未熟だったので、野菜の名前ひとつわからず何時間もスーパーで立ち尽くすような日々(笑)。今年で移住から4年が経って、ようやく日本と同じくらいストレスなく日々の暮らしを楽しめるようになりました。

―バイヤー業を始めたのはどんなきっかけだったのですか?

AYA:もともと「服バカ」というくらい、服が好きで(笑)。バイヤーという仕事にも興味があったので、最初は日本に入っていない小物などをフリマアプリで販売し始めて、そのうちにSNSでお客さまからのリクエストを受けてのバイイングを始めたんです。しかし個人のアカウントでやっているものですし、フォロワー数も多くなかったので、お客さまからの信頼を得るのはとても時間がかかりました。

aLORSディレクターAYAさん

―SNSでバイヤーとして活動するのは、新しいビジネスの形ですよね。お客様から信頼を得るために努力していたことはありますか?

AYA:バイイングを始めた頃、大好きなモデルさんとお食事する機会に恵まれたんです。その方が「こんな素敵なもの販売しているなら、たくさんの人に伝わらないのはもったいないよ」と、彼女のSNSで紹介してくださったんです。それがきっかけで、フォロワーがどんどん増えていきました。その後もインスタライブで顔を出すようになり、自分にリスクを負って活動することによって、少しずつ信用を得てきた感じですね。

aLORSのブラウス

『aLORS』のブラウス

―ブランド『aLORS』を起ち上げようと思ったのはなぜですか?

AYA:バイヤー業をずっとやっていく未来は想像できなくて、通過点のひとつとして考えていました。お客さまとインスタライブやDMを通じてファッションの話が弾むようになっていく中で、ずっとやりたかった自分自身のブランドに挑戦してみようかなと思い始めて。当初は私1人だったので、ブラウス50枚をSNSで販売する趣味程度のものを考えていたんです。

でもデザイナーが見つかって『aLORS』を起ち上げることに決め、フランスやイタリアでアトリエを探していきました。いまの時代、インフルエンサーがブランドを起ち上げるD2Cが活発だと思いますが、私にバックアップしてくれる人がいるわけではないので、一緒に制作してくれる人を自分で探さないといけず、その組織づくりは1番大変でした。

 

一生ワードローブに入れられる上質な服を作るために苦労は厭わない

aLORSのブラウス

―最初に販売されたブラウスは再販続きで、すごい反響でしたよね。デザインを考えるときに、バイヤーの経験は生きましたか?

AYA:今までやりとりしてきたお客さまやフォロワーが、なにを好きで、なにが似合うかなどはある程度把握できていました。それにお客さまが以前購入していただいたバッグと相性がよいデザインを考えることで、今まで私の活動を支持してくださったことへの恩返しにもなるとも感じていました。

また、秋にこのブラウスを再販しようと思っています。お客さまが私の考え方と同じであれば、季節を問わず欲しい服を買う方が多いと思うので(笑)。こういった季節外れの販売など業界的にメジャーでないこともやっていきたいと思っています。

―デザイナーとは、どんな経緯で出会ったのですか?

AYA:メインのデザイナーはヨーロッパ在住の日本人なのですが、Instagramを通じて知り合ったんです。2〜3回ほど、ごはんを一緒にするうちに、自分以上に「服バカ」すぎてすごいなって思って(笑)。

メゾンの知識も豊富だし、インスピレーションもすごい。彼女が一緒にやると言ってくれたことで、まったく違う目線で服が作れるし、私1人では難しかった形でブランドを拡大していけるのではないかと思いましたね。

aLORSの秋冬のルック『aLORS』の秋冬のルック

―毎シーズン、どのようにデザインを考えているのでしょうか?

AYA:ディレクターとして、来春にこういうものを着たい、こういう気分になりそうという私自身の気持ちを大切にしています。メインデザイナーとパリとイタリアにいるデザイナー陣にイメージを伝えると、1960年代のコレクションからリファレンスを引っ張ってきて、昔の服の型を掛け合わせたデザインを起こしてくれます。

もちろん次のトレンドを把握はしていますが、流行りに左右されることなく長く着られるもの、私が着たいもの、お客さまに体験してほしいものを詰め込んでいます。

春夏は1枚で映えるものをテーマにしていましたが、この秋は自分が持っている底力を発揮できるものにしたくて、これまでとは真逆のイメージになりました。一見シンプルだから1枚では映えないけれど、バッグやアクセサリーなどの手持ちのアイテムと掛け算することでコーデの底上げになるラインナップです。

シンプルだからこそ、着る人それぞれの個性も出るし、そういうものを作りたいとデザイナーに伝えました。毎シーズン、お客さまがハッとするような新しい発見のあるものを作っていきたいです。

―パタンナーやアトリエは、フランスでどうやって見つけていったのですか?

AYA: 1軒1軒、扉を叩いてまわりました。英語で通じるところは1人で行きましたが、フランス語が必要な場合は知り合いに手伝ってもらったりもして。契約ができても言語の壁があるし、向こうの価値観や文化に合わせないといけないので、その目線合わせには今も苦労しています。

今はフランスに加えてイタリアでも制作しているのですが、納得のいくクオリティのものがなかなか上がって来ず…。安くて良いものが溢れている日本でも高品質と感じてもらえるものが出来上がるまでには、交渉の連続でした。日本だったら、労力は半分だっただろうなって思いますね。

aLORSの秋冬のルック

―思い描くものを伝えていくのは大変だと思いますが、どんなコミュニケーションをとっているのでしょうか?

AYA:サンプルチェックを何回も何回も繰り返し行いますね。フランス人からは、「どこまでこだわるんだ、販売先がフランスならここまでしないよ」って言われて、「日本に卸すからどれだけ質を追及するかが勝負なんです」って説明して。譲らないぞって姿勢で、喧嘩しています(笑)。

私たちがあまりにも細かいので、「呆れてものが言えない」って何度も言われたし、辞めていった人もたくさんいます。お客さまは神さまっていうのは日本だけで、フランス人には通用しません。依頼主は私たちだけど、立場は対等…いや、向こうの方が上という感覚なので、私たちの価値観を理解してもらうのは一生の課題だと思っています。『aLORS』のお客さまには絶対伝わらない部分ですが、裏側では泥臭くやっています(笑)。

aLORSの秋冬のルック

―そこまで大変な思いをしても、クオリティにこだわるのはなぜでしょうか?

AYA:今回の秋の展示会で発表したパンツもシンプルなので、写真ではお客さまの反応は薄かったのですが、上質な生地を使っているので、実際に見るとびっくりされるんです。特に年齢を重ねると、パンツってどれだけ良い生地を使っているかがカギになります。試着したときにしっくりきたと、年齢を重ねたお客さまであるほど購入されていくことは多かったし、「一生ワードローブに入れられる」という声もいただきました。そういう生地やボタン1つずつにこだわり続けたい。それにパリの生地の展示会やミラノのボタンの展示会で直接選べるのは、私たちの強みだと思っています。

 

年を重ねてより輝くパリジェンヌのようにありのままを愛せる服を

―日本の消費者の目線を持ち続けるため、工夫していることはありますか?

AYA:デザイナーはヨーロッパに長く住んでいるのでヨーロッパ的感性のアイディアを出しがちだったんです。たとえば、日本だと、襟を立ててシャツを着る人ってあまりいないですよね。欧米人は首が長いから襟を立てても大丈夫だけど、日本人の骨格的には襟に顎がぶつかるし、ファンデーションがついちゃう。

そこで、少し襟の高さを下げようとか、そういう目線を大事にしています。デザイナーのヨーロッパ的感性に、私の日本的な消費者目線を組み合わせて何ができるかを考えながら、ここはヨーロッパらしさを貫こうなど議論していますね。

AYAさん自身の着こなしも注目を集める

AYAさん自身の着こなしも注目を集める

―日本ではトレンドのサイクルが早いと感じますが、パリでも流行りのスタイルってあるのでしょうか?

AYA:街を歩いていて流行りを感じることはありませんが、スカートの人はほとんどいないですね。デニムにTシャツやニットという定番のスタイルの人が多い。私が素敵だなと思うのは、そのデニムが上質な生地だったりして、1つ1つのセレクトにこだわりを感じる人。全身の組み合わせはみんなと一緒なのに、これだけ違って見えるんだということにはハッとさせられますね。

でもフランス人はヴァカンスにお金をかけるので、ヴァカンスのためのワンピースにはこだわるんですよ。夏になると、ショーウィンドウにワンピースがズラリと並んだりしますね。そういったところはフランスならではのファッションを感じます。

―パリの街やパリジェンヌからインスピレーションを受けることはありますか?

AYA:フランス人は体型も年齢も気にせず、好きなものを着ているし、本当に気に入った数着を長く愛用しています。そういったファッションに対する考え方に刺激を受けますね。『aLORS』でもコンプレックスを気にせず、ありのままの自分で好きな服を着てもらいたいという想いで服作りをしています。

特にフランスの上流階級の方って、シックな着こなしや小物、ハイブランドの取り入れ方がすごく素敵なんですよ。『aLORS』の大きなテーマに、「B.C.B.G.(Bon chic bon genre)※」を掲げているんですが、そういう上流階級のライフスタイルを参考にブランディングしていきたいと考えています。

※フランス上流階級のトラディショナルな着こなしのこと。

―AYAさんが見惚れるような、パリジェンヌとの出会いはありましたか?

AYA:バイヤーの仕事の一環でハイブランドのイベントに行ったときに、70代くらいの腰が曲がった白髪のマダムが、白いワンピースにビーチサンダルを履いてセリーヌのバッグを持っていて、衝撃を受けたことがあります。日本だったら、おばあちゃんが膝を出してワンピースを着ることってなかなかないですよね。50代くらいのマダムが、全身水色の服にルイ・ヴィトンのクラッチを持っているのもとても素敵でした。

パリに来て、年齢を重ねて出てくる味わいによってハイブランドがより美しく見えるというのを肌で感じています。アジアはハイブランドを持つことがステイタスというカルチャーですが、そういうブランドが持ち主から浮かないような、全体のバランスを考えたファッションを提案していきたいですね。

AYAさんの着こなし

―「好き」を仕事にしているAYAさんだからこそ、パリの働き方とギャップも多いのではないですか?

AYA:素の私は本当にボケボケなので、プライベートのときは大らかなパリの暮らしは楽だなと思いますが、仕事スイッチが入った瞬間に全然合わないなと思います(笑)。

特に自分でビジネスをやっていると責任が伴うので、どうしても日本的な価値観が強くなってしまうんですよね…。アトリエから「ヴァカンスに1カ月半行くから連絡しないでくれ」と言われて、そんなに生産が止まったら困る…って思ってフランスで働いている日本人に愚痴ると、「日本人魂はフランスでは通用しないから、その考え方は直した方がいいよ」って言われました。でも、日本でビジネスをする以上、そこに適応する必要もないのかなとも思っています。

―現在のAYAさんの活動は、パリだからこそ実現できたなと思うことはありますか?

AYA:夫のパリ行きがなければ、この人生にはならなかった。パリに来て自分の人生が一旦リセットされた瞬間、やりたいことをやり続けていないと後悔すると思ったんです。それにパリで暮らす中で、安定とはなんだろうってすごく考えさせられるようになって。安定なんて存在しないし、会社に頼るよりも、自分の力でどれだけ自分を安定させていけるかどうかが大切。自分の選択ひとつで、いかようにもなる時代に、どんな環境になっても自分を安定させるためにどうしたらいいかを考えるようになり、マインドが切り替わりました。パリの街では、自ずとそういう考え方になってくるのかもしれません。

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日本を離れてパリに渡ったことで、服作りを仕事にする道に進むことができたAYAさん。本当に自分が好きなものに向き合うためには、時には、安定や経験、マインドを手放すことも大事だと気付かせてもらったような気がします。

執筆:鈴木桃子