どんなに時代が変わっても、家族関係の悩みは尽きることがありません。実体験をもとにした小説『夫のちんぽが入らない』でデビューし、家族や日常について、赤裸々かつユーモラスに書き続けているこだまさん。

 翻訳家として多数の著作を手がけながら、崩壊した自身の家族についてのエッセイ『家族』や、認知症の義母の日常を書いた『全員悪人』など、多くの家族エッセイを書いている村井理子さん。

 こだまさんと村井さんは、その圧倒的な筆力で、自身の家族をときにユーモラスに、ときにままならない他者として描き、家族に悩む多く人々の共感を得てきました。今回、初対面となったふたり。家族エッセイの是非や、親との確執を克服したきっかけ、父親たちのおかしな終活について語りました。

家族に関するエッセイを綴る作家・村井理子さん(左)と、いつもの紙袋をかぶる匿名作家こだまさんは今回が初対面
◆エッセイのために夫と交わした契約

村井:こだまさんはエッセイを書いていることを誰にも知られてないんですか。

こだま:そうですね。家族にすら話してないです。

村井:これだけ短期間で何冊も出されてるから、近しい人にはもうバレてるのかと思ってました。

こだま:私は地元に友達もいないですし、周りに本屋もない辺境の地に住んでいるので、バレようがないんです。

――村井さんの本は、ご家族も読まれてるんですか?

村井:夫は読んでますね。

こだま:『全員悪人』は認知症になった義理のお母さんについての物語でしたが、旦那さんから何か言われませんでしたか。

村井:言われてないですし、言わせないです(笑)。あの本は認知症になった義母の一人称で書きましたが、事前に夫と交渉したんですよ。私たちが住む滋賀から、義両親のいる京都まで、私が通って世話をする代わりに「義両親のことは書くよ」って。夫は渋々了承してました。

こだま:そんな取引があったんですね(笑)。

村井:夫は仕事が忙しくて京都まではなかなか通えないんです。だから彼には義両親の生活費や医療・介護費を負担してもらってます。さらに、エッセイを書く許可までくれたので、むしろありがたいです。

こだま:そういった役割分担があるとは知りませんでした。

村井:『全員悪人』ではそういう込み入った事情はあえて書きませんでした。認知症や介護を大変な出来事として書くのではなく、目の前で日々進んでいくあまりにも興味深い義母の変化を書きたいという欲望が原動力だったので。

こだま:それは好奇心のようなものですか。

村井:そうですね。「人間の脳って本当に不思議だな」と思いながら、義母を観察して書きました。脳というものすごい可能性を秘めた場所が、砂山が崩れるように日々崩壊していく。その様子ってナショジオの自然ドキュメンタリーを見ているようで、感激しかないんですよ。

◆反省しても懲りないふたり

――息子さんたちも、村井さんのエッセイについて何か言っていますか?

村井:16歳になる双子の息子がいるんですが、前に「俺のことは絶対に書かないでくれ」と言われました。私の文章は読んでないみたいだけど、同級生から「お前の母ちゃんがなんか書いてるの、ネットで見たぞ」とか言われるらしくて。編集の方にお願いして、ウェブ掲載されている息子に関する文章は削除してもらいました。「書かれない権利」もあるので、そこは尊重してますね。

こだま:家族のことをエッセイに書くことの是非ってよく話題になるじゃないですか。そのたびに身につまされて「ちゃんとしなきゃ」ってスタート地点に戻されるんです。でも夢中で書いているうちに、またはみ出していく。

村井:よくわかります。昔は「書いて何が悪い!」と自分の書きたい欲を押し通してましたが、最近は将来読まれたときに、どう思うんだろうってよく考えます。そう言いながら懲りずに書いてしまうんですよね。

こだま:私は家族や周りの人に「こだま」が知られてないのをいいことに、わりとゆるい基準でなんでも書いてます。でも、私がエッセイを書いて出版していることがバレたら、洗いざらい話す覚悟はできていて。まあ、勘当されるんでしょうね。

村井:新刊の『ずっと、おしまいの地』とか親が読んでも喜んでくれると思います。

こだま:最近のエッセイは全然読まれてもいいんですけど、なにせ1作目が『夫のちんぽが入らない』なので(苦笑)。怖いもの知らずで自分の最大の秘密を書いたうえに、両親のこともだいぶ悪く書いたので、読んだら絶対怒ると思います。

◆歳を取ることで変化した親子の上下関係

――こだまさんは『夫にちんぽが入らない』で家族への偽らざる感情を書きました。一方、今回の『ずっと、おしまいの地』には、がんを患ったお父さんを見舞うため、頻繁に実家に帰る様子が書かれています。確執のあったご両親と、なぜここまで関係修復できたのですか。

こだま:『夫のちんぽが入らない』のときは、母から「子どもを産め」としつこく言われて憎んでたので、わりと悪く書いてました。昔のエッセイを読み返すと、父のこともすごく冷めた目で見ている。でも時間が経つにつれて、親との関係性が変わり、私にも余裕ができたように思います。親が衰えていく一方で私が大人になり、昔は親が上から目線だったのが、私のほうが上になったのかも。

村井:親との関係性が逆転するのは私もよくわかります。

こだま:いい意味で当時の母の言動を「しょうがないよな」と割り切れるようになりました。

村井:なぜ親が過去にある言動を取ったのか、突然わかる瞬間があるんですよね。私の場合は、子どもとの関係が断絶したときの苦しみを考えるようになって、親を許せるようになりました。あと、子育てが本当につらくて、母も同じように悩んでいたんじゃないかと気づいたんです。私は病弱だったし、兄も問題行動の多い子どもだったから、すごく大変だったと思います。10代の頃の私にも非があったなと反省してからは、母を責める気持ちはなくなりました。

こだま:私の母は生まれてからずっと田舎に生きてきて、女性は家事して育児するもの、という考え方しか知らない人なんです。だから私にもそれを強いてきた。母がそういう考え方になるのも環境のせいだったんだと諦められました。思い返すと母も子育てが一段落したとき、急に「資格取りたい!」って言い出して、田舎から数週間飛び出して都会に講座を受けに行ったことがあって。

村井:すごい行動力!

こだま:もともと母は社交性もあって、行動的だった。子どもと父の面倒を見るために、自分のことを我慢してたんだなぁと思います。

――以前、村井さんは「実家の家族がみんな今も生きていたら、もっと楽しく過ごせたかも」とおっしゃっていました。

村井:そうですね。特に兄が死んだことの後悔は、一日たりとも消えません。死ぬ少し前に、家賃の援助をお願いされて、断ったんです。離婚した兄は、親ひとり子一人でしたが、甲斐性もなかったし、病気もして、生活がままならなかった。でも、当時の私はこれ以上兄を支えたら、自分も悪い状況に巻き込まれると思って距離をとりました。自分の生活を守ることに必死で、兄を助ける余裕がなかった。とはいえ、お金の援助くらいはしてもよかったんじゃないかと今は思います。大きな後悔ですね。

◆男は老いるとチェーンソーを握る

――村井さんが『ずっと、おしまいの地』でお気に入りのエピソードを教えてください。

村井:どれも好きですが、最も印象的なのは「父の終活」ですね。がんを患ったお父さんが突然チェーンソーを振り回し、自宅の木々を伐採したエピソードがありましたけど、私の義理の父もまったく同じことをしたんですよ。

こだま:えっ! チェーンソーを振り回す老父って「あるある」だったんですね。

村井:ね。私も読みながらびっくりしちゃって。「俺が死んだら誰も世話できひんやろ」と言って、庭の木を切りまくってました。

こだま:まったく同じ理屈です。

村井:本当にゼロか100なんですよね。愛情をかけて育てた木を急に「ぶっ殺す」という感覚が、私たちからするとよくわからない。

こだま:ここまでしなくてもいいんじゃないかと思うんですけどね。

村井:義父は自分でみかんの木をがんがん伐採しておいて、翌年「実がならない……」って泣いてるんですよ。バカじゃないの?って思っちゃうんですけど(笑)。

こだま:なぜか「自分がやらなくて誰がやる」っていう責任感が強くて、体は弱っているはずなのに、衝動的に動くんですよね。

村井:凶暴で止められない。彼らはすごいパワーで終活をするんですよね。

こだま:自分が担当していたものを片付けるという意味では、チェーンソーを振り回すのも彼らなりの終活なのかもしれませんね。もう少し穏やかにできないものかと思いますけど。

村井:こだまさんはご両親のこともすごい愛情を持って書いてるのがよくわかります。

こだま:父ががんになってから、母は怪しい健康食品にハマってしまったり、父自身はノーマスクでヨガ教室に通ったりしましたが、一面的に書かないように気をつけてはいます。

村井:そういう困った行動はごく一部で、ご両親にはちゃんと人間らしい素敵な面がたくさんあるんですよね。お父さんが偽物のプーマのジャージを着てチョコモナカジャンボを頬張る様子だったり、お父さんのマネをしておどけてみせるお母さんのかわいらしさだったり。

こだま:村井さんも『家族』の中で「毒親の一言で母を、そして父を片付けようとは思わない」と書かれていましたが、私もずっとその気持ちを持っています。

村井理子

翻訳家・エッセイスト。著書に『家族』(亜紀書房)、『兄の終い』『全員悪人』(共にCCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)など。新刊は読書案内エッセイ集『本を読んだら散歩に行こう』(集英社)。翻訳は『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー著、早川書房)、『サカナ・レッスン』(キャスリーン・フリン著、CCCメディアハウス)、ほか多数。

こだま

作家、喫茶店アルバイト。2017年、実話をもとにした私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビューし、ベストセラー作家に。「Yahoo!検索大賞」(小説部門)を2017・2018と二年連続で受賞。二作目となる『ここは、おしまいの地』(太田出版)では第34回講談社エッセイ賞受賞。著書に『いまだ、おしまいの地』『縁もゆかりもあったのだ』(いずれも太田出版)。

<取材・文/安里和哲 撮影/山田耕司>