人は誰かに必要とされなければいけないのか

 忍は、千秋から預かったみひろを、娘のようにかわいがっている。食事を用意し、彼女が行きたいと言った人形制作教室のお金も出してやる。忍は、自分でも気づかないうちにみひろを息子の代わりにしていたのだ。自分を無条件に必要としてくれる存在の欠如に、忍は苦しさを覚えていたのだろう。だが、みひろにとって、「お母さんのような」存在は決して居心地のいい場所ではなかった。 「先生のところにいると、私、ずっとかわいそうな子でいなくちゃならないから」  自立心の芽生えたみひろは、そう言って出ていく。

 必要とされたくて、ついかまってしまう。人にはそういうことがある。世話を焼くことで、相手にとって「必要な存在」になりたいのだ。だが、それはあくまでも一方的な関係に過ぎない。  親子であれ夫婦であれ、友人関係であれ、「必要とされたい」という欲求が強すぎると、相手には負担になるだけなのではないだろうか。

 そもそも人間関係において「必要とされたい」が優先されるのはおかしい。子どもが小さいときは別として、大人同士であれば、自分は自分として生きていて、相手も相手として生きていることが何よりも大事だ。その上で何らかの関わりがあったり、お互いに助けられたり助けたりしながら情を交えて親しくなる。必要だから愛するのではなく、愛するから結果として必要となるのだ。順番が違うと、ただ愛情を押しつけているだけになってしまう。

 忍は、夫を必要としなくなったから離婚したわけではない。愛していないとわかったから離婚したのだ。夫は妻を必要としてはいたが、やはり愛情があったようには思えない。あの夫婦の状態で、妻が経済的に自立しているなら離婚は必至だ。

空虚な思いを抱える千秋。最終回はどうなるのか

 忍を思いながら、千秋はいつものように忍のマンションの敷地内ベンチに座り込んでブラックコーヒーを飲んでいる。そこへみひろを探して出てきた忍とばったり会う。  話の流れで、「5年前にいなくなったくせに」と恨み節を口にする千秋。そのとき夫が心臓発作で倒れたことをようやく告げる忍。驚いて言葉も出ない千秋に、18歳の年の差を痛切に感じ、それを指摘する忍。だがもはや千秋には、なにもかもどうでもよくなっていた。漫画も、忍のことも……。空虚な思いを抱えて歩く千秋を、忍は追いかけようともしない。

 そして忍は、岡野(池内博之)のプロポーズを受ける。だがこのままの状態でハッピーエンドを迎えることになるとも思えない。最終回はどうなるのか。見たいけれど終わってしまうのが寂しい。そんな思いで待っている。 <文/亀山早苗> ⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】 亀山早苗 フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio

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