国籍・人種を問わず、人間の頭に花を飾る「花人間(HANANINGEN)」。このプロジェクトを主宰する清野光(Hikaru Seino)は、スペインでアントニ・ガウディの世界遺産作品群とのコラボレーションショーを行うなど、世界で注目されているフラワーアーティストの一人だ。彼はなぜ人の頭に花を生け始めたのか。花に込めた思いを語ってもらった。
人間と花には相性がある
──今回、花人間のモデルとなった男性は、完成したご自身の姿を見て「教会で賛美歌を熱唱したくなる」。一方の女性のモデルは、清野さんに生花を挿されている最中、「透明なクリスタルガラスの花瓶になったような気分」と仰っていました。
清野:嬉しいですね。四季折々の旬な花を使いますが、人間と花には相性があります。まずは、人柄、雰囲気、職業などから、モデルの個性が引き立つ花を選びます。主役の花を決めたら、それよりも個性が弱い草花をちりばめながら立体感を生み出していきます。この制作過程で特に大切なのは、頭の中で“アリエッティ”になることです。
──借りぐらしのですか?
清野:はい。アリエッティとしてモデルの頭の上に立ち、自分の五感が刺激されて心躍るような“小さな森”を表現していきます。ただ同時に、手に取った花を眺めるたびに、「俺、何やっているんだろうな」という戸惑いがあるのも事実です。
人の手で生けたものは、自然の美しさに勝てない
──戸惑いとは、創作過程で生じる迷いに近い感情ですか?
清野:葛藤ですかね。僕は「オリジナルは原点」という言葉を好んで使いますが、万物の根源的、かつ絶対的な美しさは、地球から誕生してきた時の自然な姿に内包されていて人間の脳にデータとして共有されています。だから僕が、いくら息を呑むような小さな自然界を頭上に造形しても、道端に咲く一輪の花や、農家さんが育てた花の美しさには負けてしまうんです。
──勝てないのに、花を生け続けているのはなぜでしょうか。
清野:忙(せわ)しない世の中に振り回されていると、当たり前に在る自然の美しさに気づかず、感謝もできません。僕にとって「花人間」は、作品ではなく手段。自然に関心を持ってもらうための“入り口”です。美しい花を芽吹かせているかのような姿になって、多幸感に包まれてもらう。身近な花の美しさや力を直に感じれば、おのずと自然を愛でようとする感情が湧き、結果として生活が彩られていく。僕は自分をアーティストというよりは、植物が持つ神秘的な力を伝える“メッセンジャー”だと捉えています。